エレミヤ 13章
あなたたちが聞かなければ
わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。
涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。
主の群れが捕らえられて行くからだ。 エレミヤ書 13章17節
預言者の涙
エレミヤ 14-15章
なぜ、わたしの痛みはやむことなく
わたしの傷は重くて、いえないのですか。
あなたはわたしを裏切り
当てにならない流れのようになられました。 エレミヤ書 15章18節
預言者の苦しみ
背信のイスラエルに対する神の拒絶は厳しく、エレミヤには執り成しの祈りさえ禁じられます。モーセやサムエルが執り成したとしても駄目だ(15章1節)というのですから、もはや取りつく島がありません。民に告げられ…
エレミヤ 16章
見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。 エレミヤ書 16章16節
真の神を知るために
エレミヤは、おおよそ多くの人に許されている日常的な生活の営み(2~8節)さえ、神から禁止されました。なぜなら、イスラエルの土地はすでに神から見離されて明るい未来がないからです。待っているのは一切の喜び…
マタイ 22章34-46節
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』…第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」 マタイによる福音書 22章37節、39節
あなたの主である神を愛しなさい
律法は、世のすべての人たちのためのものではなく、キリスト者の信仰生活の指針であり、神がモーセに与えてくだった約束です。 選びの民であるキリスト者は、律法に記録されている許可されたことと禁止されたことに…
エレミヤ 17章
祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。 エレミヤ書 17章7節~8節
人間ではなく神に信頼する
ユダの捕囚を知らされたエレミヤは預言者の務めの故に苦しみながらも神の裁きを語り続けました。来たるべき災いをエレミヤ自身が望んだわけではありません。それでも、預言者は神の口としてそれを語らねばなりませ…
エレミヤ 18章
「見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」 エレミヤ書 18章6節
神の主権にしたがう
預言者エレミヤを陥れようと謀ったエルサレムの同胞たちは、自分たちが真の信仰者であることを信じて疑いませんでした。「祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない」(18節)と、彼…
エレミヤ 19-20章
主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑わされて
あなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。
わたしは一日中、笑い者にされ
人が皆、わたしを嘲ります。 エレミヤ書 20章7節
預言者の弱さ
主の神殿の庭で恐るべき主の裁きを告げたエレミヤは、大祭司パシュフルの手によって鞭打たれ投獄されます。敗戦によるエルサレムの破壊とバビロンへの捕囚は預言者によって警告されていたにもかかわらず、それが実…
エレミヤ 21章
主はこう言われる。
朝ごとに正しい裁きを行え。
搾取されている人を
虐げる者の手から救い出せ。
わたしが火のような怒りを
発することのないように。 エレミヤ書 21章12節
怒りの矛先
ユダ王国の終焉が近づいています。バビロンの王ネブカドレツァルが西方に遠征しようと軍を構えています。ユダの背信に対する神の裁きは大いなる怒りとなってエルサレムの都を焼き尽くそうとしています。 戦争にはい…
エレミヤ 22章
災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を
正義を行わずに高殿を建て
同胞をただで働かせ
賃金を払わない者は。 エレミヤ書 22章13節
王たちの責任
神の義と憐れみに基づいて、不当な利益を求めず、在留外国人・孤児・寡婦を保護し、公正な裁判を行うことが、ユダの王たちに求められた政治でした。しかし、律法においてその定めを知りながら、自分の富を蓄積する…
エレミヤ 23章
エレミヤ書 23章5節~6節
真の牧者の到来
神にとってご自分の民は羊の群れであり、地上には牧者たちが遣わされて群れを養う務めを負いました。その牧者たちとは王・預言者・祭司という民の政治的・宗教的指導者たちです。王国が神への信仰を失って滅びを招…
マタイ 23章1-12節
だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。 マタイによる福音書 23章3節
行い、守りなさい
主イエスは群衆と弟子たちに大切なことを教えておられます。律法学者たちやファリサイ派の人びとは律法に精通していました。彼らの信仰の熱心は称賛に値しますが、主イエスはユダヤ社会の主流である律法学者たちと…
エレミヤ 24章
わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。 エレミヤ書 24章7節
真心をもって神に帰る
中東の特産物であるいちじくは、ぶどうやオリーブとあわせて、イスラエルを象徴します。エレミヤは良いいちじくと悪いいちじくを選り分けた二つの籠が神殿に供えられているのを見て、神の言葉を受け取ります。 いち…
2テサロニケ 1章
それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。…あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。 テサロニケの信徒への手紙二 1章4節~5節
苦しみは神の国のため
パウロは主イエスを伝えることによって、暴動を起こされ、襲われた経験がありました(使17章3~5節)。私たちがその時と同じような暴動による迫害を受けることはほとんどないかもしれません。けれども、主イエスを…
2テサロニケ 2章
神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。 テサロニケの信徒への手紙二 2章14節~15節
福音を通して救われる
使徒パウロは教会に宛てて多くの手紙を書き送り、時には直接訪れて説教をしました。それは「救われるべき者」(13節)として神に招かれていることを、福音を通して知らせるためです。 その頃、「自分こそは神である…
2テサロニケ 3章
終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、…どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。 テサロニケの信徒への手紙二 3章1節~5節
祈りによって結び合わされる
この手紙の最後は祈りで締めくくられます。パウロはまず、「わたしたちのために祈ってください」と呼びかけます。何よりも優先して願い求めたことは、「主の言葉が、…速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」と…
エレミヤ 25章
この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に70年の間仕える。 エレミヤ書 25章11節
罪に対する神の怒りと憐れみ
ここにはユダ王国の滅亡が預言されています。その滅亡の原因は、彼ら自身の罪にありました。その罪とは、神の警告を無視し続ける心の頑なさです。エレミヤが23年間にわたって、主の御言葉を語り聞かせたにもかかわ…
エレミヤ 26章
「主がわたしを遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない。主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。 エレミヤ書 26章12節~13節
救いへの招き
エレミヤは主から託された言葉を忠実に語る人でした。聞き手も忠実にその言葉に耳を傾けるべきでした。けれども、祭司も預言者たちも、エレミヤの語る言葉に耳を貸そうとしません。そればかりかエレミヤを捕らえて…
マタイ 5章1-12節
「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 マタイによる福音書 5章12節
大いに喜びなさい
主イエスの説教を聞いている群れは、おもにガリラヤ地域に居住しており、ユダヤ社会の主流とはへだたりのある人びとでした。彼らは、単にユダヤ人として律法に親しんでいる人びとでした。 そのような彼らが、ガリラ…
エレミヤ 27章
わたしは、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って、わたしの目に正しいと思われる者に与える。今やわたしは、これらの国を、すべてわたしの僕バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の獣までも彼に与えて仕えさせる。 エレミヤ書 27章5節~6節
神の御手に身を委ねる
エレミヤは自分で自分の首に軛をはめて語ります。このようにバビロニア帝国のネブカドネツァル王に首を差し出して仕えよ、と。エレミヤは世界情勢を見渡して、そうすることがユダ王国の国益にかなうと分析したので…
エレミヤ 28章
「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。」 エレミヤ書 28章15節
まことの安心は主から来る
エレミヤの語る預言に真っ向から対立する預言者が現れます。ハナンヤはエレミヤが語るのと真逆のことを語ってみせます。軛を負うエレミヤに対して、それを打ち砕いて、民の解放を約束します。 どちらの言うことが本…
エレミヤ 29章
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 エレミヤ書 29章11節
将来と希望を与える神のご計画
地方伝道に遣わされていた先輩牧師からこんな話を聞いたことがあります。その牧師が庭に果実の生る木を植えたとき、初めて地元の人から、「先生、ここで暮らすつもりになったのですね」と言われたそうです。 バビロ…
エレミヤ 30章
ひとりの指導者が彼らの間から
治める者が彼らの中から出る。
わたしが彼を近づけるので
彼はわたしのもとに来る。
彼のほか、誰が命をかけて
わたしに近づくであろうか、と主は言われる。 エレミヤ書 30章21節
救いの希望
エレミヤ書30章には、裁きと救いが交互に語られています。裁きの部分だけを拾い読みすれば、絶望するほかありません。そこには罪に対する神の激しい怒りと、罪が生み出す悲惨な結末が語られています。 しかし、神が…
エレミヤ 31章
しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 エレミヤ書 31章33節
心に記された新しい契約
イエス・キリストまでの時代を旧約時代と呼び、それ以降の時代を新約時代と呼びならわしています。キリスト者にとって、その区分は当然のように受け入れられています。その場合の旧約の「約」、新約の「約」とは契…
フィレモン
恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。 フィレモンへの手紙 15章16節
愛する兄弟として
オネシモはフィレモンのもとから逃亡した奴隷でした。当時の法律によれば、奴隷は人間扱いされておらず、主人の所有物でした。主人は逃亡した奴隷を殺しても、罪に問われることはなかったのです。 そのような状況に…
マタイ 25章1-13節
「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」 マタイによる福音書 25章13節
目を覚ましていなさい
この箇所は、天の御国についてのたとえ(1節)であり、終末についてのたとえでもあります。 このたとえは、賢いおとめたちのように(2節)、油を用意して、花婿を待ち、花婿が来られたら、共に婚宴の席に入ることを…
詩編 21編
王は主に依り頼む。
いと高き神の慈しみに支えられ
決して揺らぐことがない。
あなたの御手は敵のすべてに及び
右の御手はあなたを憎む者に及ぶ。 詩編 21編8節~9節
主なる神に依り頼む王
この世には、多くの王や支配者が登場してきました。しかし、この詩編が記すような王が実際にいたでしょうか。ダビデ、ソロモンなどは、一見すると当てはまるように思います。しかし、絶えず主の力に依り頼み、揺ら…
詩編 22編
主は貧しい人の苦しみを
決して侮らず、さげすまれません。
御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いてくださいます。 詩編 22編25節
主こそわたしの神
「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」(2節)。詩人は周りの誰からも見捨てられ、罵声を浴び、絶望のどん底に落とされました。詩人は「わたしの神」に訴えるも応答がありません。それで…
詩編 23編
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
…
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。 詩編 23編1節~5節
主が羊飼いとして共に
羊飼いは弱い羊をいたわり導く心優しい存在だとイメージされる方が多いでしょう。ただ、羊がさまよい出たなら連れ戻し、狼などが羊を襲おうとしたときには撃退して羊を守る強さもここでは求められています。そこか…
詩編 24編
どのような人が、主の山に上り
聖所に立つことができるのか。
…
それは主を求める人
ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。 詩編 24編3節~6節
栄光に輝く王、主
主なる神は偉大なお方です。水の上に地を据え、万物を創造され、主のものとされたからです。ですから人が主を礼拝する聖所に立ち、主からの祝福と救いの恵みをいただくには、潔白な手と清い心をもち、むなしいもの…
詩編 25編
詩人は主の道を教え示すよう、主に切実に祈り願っています。これまでの人生において、主の御心に背いて罪を犯してしまったので、そこから抜け出したいと望むからです。
詩人はこの祈りより前にも主に祈り、既に幾つかの確信を得ています。「あなたはわたしを救ってくださる神」(5節)、「主は恵み深く正しくいまし、罪人に道を示し」、「主の道はすべて、慈しみとまこと」などです。だからこそ詩人は「絶えることなくあなたに望みをお」くのです(5節)。主との祈りの交わりを重ねるからこそ、自分の心が罪深く、貧しいことを見出し、それでも見捨てず道を示す主の憐れみと慈しみをも味わい、主に依り頼む心を深くするのです。
主なる神は「道であり、真理であり、命である」(ヨハ14章6節)キリストを私たちにお与えになりました。御言葉と祈りとにより、日々キリストとの交わりに生きるとき、私たちにも慈しみとまことに満ちた主の道が示され、少しずつでも主の命の道を歩めるように導かれます。
詩編 25編8節~10節
罪人に道を示す主
詩人は主の道を教え示すよう、主に切実に祈り願っています。これまでの人生において、主の御心に背いて罪を犯してしまったので、そこから抜け出したいと望むからです。 詩人はこの祈りより前にも主に祈り、既に幾つ…
暗黒の支配を免れるために、信仰による立ち帰りをエレミヤが繰り返し語ったにもかかわらず、ユダの民は神に栄光を帰すことをしないで破滅を目前にしていました。かたや神はエルサレムに対する決定的な裁きを語り、…