出エジプト 14章
モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。」 出エジプト記 14章13節
恐れるな主の救いを見よ
主は、エジプトの国で奴隷として苦しんでいたイスラエルの民を解放されました。彼らは主が導かれるまま葦の海(紅海)に通じる荒れ野の道を進みます。 ところが、エジプトの王ファラオは、イスラエルの民を解放した…
出エジプト 15章
主はわたしの力、わたしの歌
主はわたしの救いとなってくださった。
この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。 出エジプト記 15章2節
あなたの賛美と祈りは主に届く
エジプトに寄留していたイスラエルの民は、主によって奴隷生活の苦しみから救い出されました。 イスラエルの民は、エジプトを脱出する際、主の御業を目の当たりにしました。主がエジプトのファラオの軍勢と戦ってく…
出エジプト 16章
主はモーセに言われた。
「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。…彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。」 出エジプト記 16章4節
主から与えられた糧がわたしを生かす
イスラエルの民は、エジプト軍の手から逃れた後、本格的に荒れ野の旅へと入りました。荒れ野には砂漠地帯や岩が無造作に転がっている場所もあり、生命を感じさせない雰囲気が広がっています。いや、死を予感させる…
出エジプト 17章
「見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」 出エジプト記 17章6節
どんな時でも主はあなたを見放さない
荒れ野におけるイスラエルの民の旅路が進むにつれ、また一つの問題が生じました。飲み水がないために、民はモーセに「我々に飲み水を与えよ」と争い始めます(2節)。彼らの渇きはひどくなり、「なぜ、我々をエジプ…
出エジプト 18章
モーセのしゅうとエトロは、モーセが先に帰していた妻のツィポラと、二人の息子を連れて…神の山に宿営しているモーセのところに行った。 出エジプト記 18章2節~5節
主の恵みにあずかる者が多くいる
モーセの妻ツィポラと二人の息子たちは、モーセのしゅうとエトロのもとに送り返されていました。おそらくエジプトとの戦いに巻き込まないようにするためだったのでしょう。このとき、出エジプトが一区切りついたこ…
箴言 7章
戒めを守って、命を得よ。
わたしの教えを瞳のように守れ。
それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。 箴言 7章2節~3節
どうしたら誘惑に陥らない?
7章では、罪の誘惑に陥ることの恐ろしさが赤裸々に描かれています。ここでは特に男性に対してだけ語られているように見えます。しかし、罪の誘惑は性別、年齢を問わず、誰にでも襲いかかります。そして、私たちは自…
ヨハネ 20章19-31節
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、…信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 ヨハネによる福音書 20:31
主の約束を信じて生きる幸い
ここに、福音書の書かれた目的が端的に表されています。それは「信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」と。「信じる」という言葉がここで重ねられています。まるで信じることのな…
1ヨハネ 1章
御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。 ヨハネの手紙一 1章2節
わたしたちに現れた永遠の命を知る
ヨハネがこの手紙によってぜひ伝えたかったこと、それは私たちに現れた永遠の命です。 永遠の命、それは神が人となり現れてくださった方、イエス・キリストです。この方は初めからあった方、すなわち天地創造の時に…
1ヨハネ 2章
…書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 ヨハネの手紙一 2章1節
弁護者キリストがおられます
ヨハネが願っていることは、「あなたがたが罪を犯さないようになる」ことです。ところが、「たとえ罪を犯しても」と言われなければならないように、罪との戦いに敗れてしまうことがあるのが私たちの現実です。 けれ…
1ヨハネ 3章
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。 ヨハネの手紙一 3章1節
わたしたちが神の子と呼ばれる確かさ
「わたしたちが神の子と呼ばれる」とは、何とおどろくべきことでしょうか。このことは私たちが神を愛したからではありません。神が私たちを愛してくださったからです(4章10節)。 それでは、これからのことはどう…
1ヨハネ 4章
イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。 ヨハネの手紙一 4章2節
霊によって公にキリストを言い表す
ヨハネの手紙一は、後半に入って特に「公に言い表す」(2、3、15節)こと、「信じる」(1、16節、5章1、5、10、13節)ことが繰り返して語られています。これらの言葉によって、私たちがイエス・キリストがまことの…
1ヨハネ 5章
わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。 ヨハネの手紙一 5章20節
真実の神、永遠の命なるキリスト
ヨハネは、第一の手紙を結ぶにあたって、今一度、「子たちよ」と呼びかけます。そしてその最後の一言が「偶像を避けなさい」です。このように言わなければならないほど、偶像の力は大きなものです。偶像は目に見え…
箴言 8章
わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し… 箴言 8章30節~31節
造られた人すべて主を賛えよ
繰り返されている「わたし」とは誰のことなのでしょうか。「わたしは知恵」(12節)と名乗っていますから「わたし」は「知恵」のことだとわかります。 「山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、わたしは生…
ルカ 24章36-49節
そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。 ルカによる福音書 24章45節~46節
主イエスをいつも見ながら
きょうはルカによる福音書の最後の場面からです。このとき、平和ではなかったであろう弟子たちの前に、復活の主が現れて言われます。「あなたがたに平和があるように」。この方が平和をもたらし、平和はこの方によ…
イザヤ 56章
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え
…
わたしの家、わたしの城壁に刻む。
その名は決して消し去られることがない。 イザヤ書 56章5節
神による救いは実現する
イスラエルの民は、自らの罪の結果、主なる神の裁きとして国をバビロンに滅ぼされ、捕囚の民とされました。このとき、多くのイスラエルの民は、生きる希望を失ったのではないでしょうか。神の存在が見えないとき、…
イザヤ 57章
わたしがとこしえに沈黙していると思って
わたしを畏れないのか。 イザヤ書 57章11節
生きて働いておられる主なる神
主なる神が全世界を支配しておられ、主の御力が私たちに及んでいます。このことは私たちキリスト者の確信です。しかし、この世の人たちは神の存在などに関係なく、世界は自然の秩序と世の権威において動いていると…
イザヤ 58章
主は常にあなたを導き
焼けつく地であなたの渇きをいやし
骨に力を与えてくださる。
あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。 イザヤ書 58章11節
主の御業は渇きをいやし力を与える
主なる神は、私たちに、主なる神を信じ、主を礼拝することを望んでおられます。そして、神の御言葉に聞き従うことが求められています。 イスラエルの民は、主を信じ、断食を行っていました。しかし、主なる神は「お…
イザヤ 59章
主は贖う者として、シオンに来られる。
ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると
主は言われる。 イザヤ書 59:20
罪を悔い改める者のもとに主は来られる
イスラエルの民が主の御前に罪を重ねた結果、イスラエル王国は南北に分断され、その後、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされました。南ユダ王国もバビロンによって滅ぼされて、捕囚の民とされました。そこに至…
イザヤ 60章
起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。 イザヤ書 60章1節
主の栄光はあなたの上に輝く
イザヤは、直接的にはバビロンに捕らえられているイスラエルが解放され、エルサレムに帰還することを預言しています。そして、新約の時代に、この預言がメシアである御子イエス・キリストの到来のことをも告げ知ら…
箴言 9章
はしためを町の高い所に遣わして
呼びかけさせた。
「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」 箴言 9章3節~4節
だれでも立ち寄るがよい
9章には二つの招きが語られています。一つは1節から6節の知恵の招きで、もう一つは13節から18節の愚かさという女の招きです。どちらも同じ言葉で人びとを招きます。「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい」と。しか…
ヨハネ 10章7-18節
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」 ヨハネによる福音書
主の御声を聞き分け主に導かれる
この章は、主イエスが羊の門や羊飼いに、そして私たちが羊に譬えられている箇所です。9節ではご自身を「門」に譬えられて、「わたしを通って入る者は救われる」、豊かな命を得ることになると言われて、主の門をくぐ…
イザヤ 61章
シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。
イザヤ書 61章3節
主は賛美の衣をまとわせる
61章は、福音を告げ知らせるメシアの存在が預言されています。預言者は、悲惨の中にある人びとに対して、具体的に分かる言葉で、希望を語りました。貧しい者には福音が語られる。打ち砕かれた心が包まれる。捕らわ…
イザヤ 62章
シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず
エルサレムのために、わたしは決して黙さない。 イザヤ書 62章1節
わたしは決して黙さない
預言者はエルサレムのために「決して黙さない」と宣言します。預言者は、黙ることなく、メッセージを語り続けます。「彼女の救いが松明のように燃え上がるまで」(1節)と言われているように、絶望の中にある人びと…
イザヤ 63章
アブラハムがわたしたちを見知らず
イスラエルがわたしたちを認めなくても
主よ、あなたはわたしたちの父です。 イザヤ書 63章16節
私たちの希望は父なる神のみ
「そのとき、主の民は思い起こした」と言われています(11節)。神の裁きを経験し、神の怒りを目の当たりにした彼らは、その嘆きの中で、かつてのイスラエルが受けてきた主の憐れみを思い出しました。11節から14節…
イザヤ 64章
しかし、主よ、あなたは我らの父。
わたしたちは粘土、あなたは陶工
わたしたちは皆、あなたの御手の業。 イザヤ書 64章7節
私たちを救い出す創造主
63章に引き続き、預言者の祈りの言葉が続きます。預言者は民たちの罪を告白しています。「わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった」(5節)。ここの「汚れ」は、律法が指し示す…
イザヤ 65章
狼と小羊は共に草をはみ
獅子は牛のようにわらを食べ、…わたしの聖なる山のどこにおいても
害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。 イザヤ書 65章25節
神が造られる新しい世界の希望
イスラエルの民が神を求めなくとも、神は救いの手を差し伸べ続けてきました。1、2節は、実に慰めに満ちた神の愛が語られています。神に背く民に、「わたしはここにいる、ここにいる」と神は言い続けてくださったの…
イザヤ 66章
母がその子を慰めるように
わたしはあなたたちを慰める。
エルサレムであなたたちは慰めを受ける。 イザヤ書 66章13節
エルサレムと共に喜び祝え
イザヤ書の後半部分は、バビロン捕囚の出来事によってイスラエルの国が失われ、神殿が破壊されたことが背景にあると考えられています。66章で、主は、エルサレムに訪れる救いを約束します。エルサレムは神を礼拝す…
ヨハネ 15章1-8節
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」 ヨハネによる福音書 15章4節
わたしにつながっていなさい
きょうは、主イエスがご自身をまことのぶどう木に譬えられたお話からです。この木と枝との関係を通して、主イエスとのつながりによって私たちは確かに活かされ、確かな命を得ていることがダイナミックに示されます…
ローマ 11章36節
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。 ローマの信徒への手紙 11章36節
神よ願くば汝の栄光を仰がしめ給へ
78年前のきょう、日本キリスト改革派教会は「神よ願くば汝の栄光を仰がしめ給へ。我等与へられし一切を汝に捧ぐれば、汝のみを我等の神、我等の希望と仰がせ給へ。汝が我等の衷に肇め給ひし大なる聖業を完遂せしめ…
2コリント 1章
…コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。 コリントの信徒への手紙二 1章1節
恵みにより聖とされた者たち
「コリントの信徒への手紙二」の宛先の部分で、著者である使徒パウロはコリント教会の信徒たちに「聖なる者たち」と呼びかけています。「聖」という言葉は、聖書においては神とのかかわりにおける区分、分離を表す…
毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2024年4月は兵庫県神戸市にある「西神教会」です