だれでも立ち寄るがよい | 箴言 9章

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箴言 9章

はしためを町の高い所に遣わして
呼びかけさせた。
「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 箴言 9章3節~4節

だれでも立ち寄るがよい

9章には二つの招きが語られています。一つは1節から6節の知恵の招きで、もう一つは13節から18節の愚かさという女の招きです。どちらも同じ言葉で人びとを招きます。「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい」と。しかし、その招き方と招きに応じた結果はまったく異なります。

愚かな女の招き方から見てみましょう。自ら通りに出て、その姿を見せて、声をかけて道行く人びとに呼びかけます。当時の遊女の姿を連想させます。直接的でわかりやすい、だから惹かれる人も多くなるでしょう。

一方、「知恵」は直接、その姿を人の前にはあらわしません。家を建てて、食卓を用意して待っています。そして、「はしため」を遣わして呼びかけます。人が目にするのは「はしため」の姿であり、その声です。用意されている食卓も直接見ることはできません。「知恵」の呼びかけは、「愚かさ」の呼びかけのようにわかりやすくなく、魅力的にも思えないかもしれません。使いの声を聞き、冷静に自分でその家に赴くほかありません。

結果を見てみましょう。愚かさの招きは「深い陰府」に、知恵の招きは「命」に至ります。キリストの招きはこの知恵の招きです。遣わされた者が御言葉をもって招きます。それは一見、愚かな手段ですが、実はここに深い神の知恵があります。

【祈り】

主イエスよ、広い門ではなく、狭い門から入って命に至らせてください。

橋谷 英徳(関キリスト教会)