主イエスをいつも見ながら | ルカによる福音書 24章36-49節

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ルカによる福音書 24章36-49節

そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 24章45節~46節

主イエスをいつも見ながら

きょうはルカによる福音書の最後の場面からです。このとき、平和ではなかったであろう弟子たちの前に、復活の主が現れて言われます。「あなたがたに平和があるように」。この方が平和をもたらし、平和はこの方によって実現されることを確信させられる、そのような箇所です。

44節からの場面では、旧約聖書に書かれたことはすべて主イエスによって実現すると前から言っておいたではないかと言われて、昇天日(イースターから40日後)まで、旧約聖書を弟子たちにみっちり教えられたことが記されています。そして興味深いのは、その理由です。それは「聖書を悟らせるため」そして「彼らの心の目を開く」ためです。昇天日までに主イエスは、「聖書を悟らせるため」、また、肉の目ではなく「心の目を開く」ためにそのことをされたのでした。

私たちはペンテコステまでの期間、聖書を悟るため、心の目を開かれるための歩みに導かれたいと思います。まるで主イエスがおられないかのように、亡霊のように主イエスを見るのではなく、実生活の中で、具体的な人との関わりのなかで、目の前に復活の主イエスをいつも見ながら生活したいと思います。これがペンテコステへと繋がる歩みだからです。

【祈り】

地上の歩みの中で主イエスに出会わせてください。主イエスを見るように、人と接することができますように。

大木 信(西鎌倉教会)