リジョイス聖書日課

エゼキエル35-36章 新しい心、新しい霊

聖書日課
2009年9月2日(水)

エゼキエル35-36章 新しい心、新しい霊

「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える」(エゼキエル36:26)

 「石の心」と「肉の心」とが対比されています。何も感じることのない、無感動、無反省の心が、痛みや喜びを感じる心に変えられます。動脈硬化ならぬ心の石化こそが、人生に迫り来る危険です。

 神の民イスラエルは、偶像を拝み、神の御名を汚しました。当然、神の裁きがくだります。しかし、そのなかで、神は、ご自身の御名のために御業を行われます(36章23節)。彼らにより汚された神の御名を清めるために、神はイスラエルの民を清めてくださいます。そのとき、石の心が肉の心になります。さて、エゼキエルの預言の言葉は、主イエスのお働きのなかで実現されます。主イエスがニコデモに語られた「新しく生まれる」(ヨハ3章3節)が、そうです。

 心は、自分ではどうすることもできません。特に罪に馴染んだ心は、そうです。しかし、神は、ご自身の方から働きかけ、私たちの心に新しい霊を置いてくださいます。そして、共どもに心新たにされた神の民が、神により生まれます。「お前」ではなく、神の民として「お前たち」の心が、新しくされます。

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