モアブへの神の裁きと憐れみ | イザヤ書 15章

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イザヤ書 15章

わが心は、モアブのために叫ぶ。

彼らは、ルヒトの坂を泣きながら上り
ホロナイムへの道で、絶望の叫びをあげる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 15章5節

モアブへの神の裁きと憐れみ

モアブ人は、アブラハムの甥ロトと、その長女の間に生まれた男児の子孫です(創19章30~37節)。エジプトを出たイスラエルがモアブの領土の通行許可を求めたとき、モアブ人はそれを拒否し(士11章17節)、バラムを用いて神の民を呪わせようとしました(民22章)。

モアブ人ルツがボアズと結婚し(ルツ記)、ダビデは要害に立てこもっている間、両親をモアブ王に託しました(サム上22章3節)。このような例外を除いては、モアブは常にイスラエルに敵対しており、申命記において、「モアブ人は、主の会衆に加わることはできない」(申23章4節)と書かれています。

神の御前に高慢であること、これは、神がもっとも忌み嫌われる罪です。そもそも私たち人間の堕落は、「神のようになれる」と、蛇に誘惑されて被造物の分を超え、神の戒めに背いたところから始まっています。ですから、神は、預言者イザヤを通してモアブの高慢を批判し、主の厳しい裁きを宣告しておられます。

しかし同時に、「わが心は、モアブのために叫ぶ」と言って、イザヤは心からの悲しみをも表します。彼の心は憐れみで満ちていました。そして、それは、イザヤを遣わした神から出た憐れみでした。

【祈り】

憐れみ深い神様、高慢の罪を示されたときに悔い改め、あなたの赦しをいただくことができますように。

小堀 昇(花小金井教会)