マタイ 23章
「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」 マタイによる福音書 23章37節
時が過ぎ去る前に
神はイスラエルの民を救い出そうと、これまで幾度となく御手を差し伸べて来られました。しかし、ユダヤ人たちはその度にその手を払いのけ、神の救いを拒み続けました。そして今、天から遣わされた神の御子をも十字…
マタイ 24章
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 マタイによる福音書 24章35節
決して滅びない言葉に従う
「飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。…偽預言者も大勢現れ、…不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」と主イエスは弟子たちに語られました。主イエスの言葉に怯える弟子…
マタイ 25章
「『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」 マタイによる福音書 25章40節
どんなに欠けだらけであっても
主イエスは、終わりの時に備えるよう教え、御国を受け継ぐ者とされた人たちに語りかけます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のと…
レビ 15章
あなたたちはイスラエルの人々を戒めて汚れを受けないようにし、…彼らの汚れを持ち込んで、死を招かないようにしなさい。 レビ記 15章31節
性的な事柄への神の配慮と癒し
今、子どもたちに体の性的な部分について教えるときには、「プライベートな部分」という言い方を用い、性的な事柄はもっとも個人的で大切にされなければならないと教えられます。人のもっともプライベートな事柄に…
詩編 63編
わたしの魂は満ち足りました
乳と髄のもてなしを受けたように。
わたしの唇は喜びの歌をうたい
わたしの口は賛美の声をあげます。 詩編 63編6節
神が共におられる人の喜び
この詩人は、水を求めてあえぐ人のように、神を求めて渇いていました。絶えず逃げ回るような状況にいて、平安を得ることができなかったようです。それを渇いていると表現するのは、神がおられないように感じたから…
マルコ 10章1-16節
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 マルコによる福音書 10章16節
子供たちを祝福される主イエス
人びとに教えを語る主イエスのもとに子どもたちが連れて来られましたが、弟子たちは子どもたちを連れてきた人びとを叱りました。弟子たちは、子どもたちのことを、先生が教えを語るのを邪魔する存在であると考えた…
民数記 22章
主の御使いはバラムに言った。「この人たちと共に行きなさい。しかし、ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい。」 民数記 22章35節
バラムも主の御手の中
主イエスは、ご自分の弟子たちを宣教に遣わされるとき、告げられました。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ」(マタ10章16節)。これでは助かりようがありません。 さて、…
民数記 23章
見よ、祝福の命令をわたしは受けた。
神の祝福されたものを
わたしが取り消すことはできない。 民数記 23章20節
獅子のように身を起こし立ち上がれ
「人間に頼るのをやめよ、鼻で息をしているだけの者に」とイザヤ書2章22節は私たちに教えています。 さて、バラムは超一流の占い師として頼られる人でした。しかし、彼も鼻で息をしているだけの者に過ぎません。彼…
民数記 24章
エジプトから彼らを導き出された神は
彼らにとって野牛の角のようだ。
彼らは、敵対する国を食らい尽くし
骨を砕き、矢で刺し通す。 民数記 24章8節
祝福のゆえにへりくだった心を
バラクは怒り心頭でした。何しろ、イスラエルを呪うために呼び寄せた占い師バラムが、呪うどころか三回も繰り返して祝福の託宣をしたからです。 「自分の所に逃げ帰るがよい!」とバラクは命じます。バラムも負けて…
民数記 25章
「祭司アロンの孫…ピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。」 民数記 25章11節
主の御怒りを去らせる熱情
絶望と、なおそこに輝いていた希望、25章はその二つを教えています。一つ目の絶望は、祝福の基として選ばれている(24章9節)のにもかかわらず、目を覆いたくなるほどの御民の背信です。 モアブの娘たちの誘いにす…
レビ 16章
これはあなたたちの不変の定めである。年に一度、イスラエルの人々のためにそのすべての罪の贖いの儀式を行うためである。 レビ記 16章34節
年に一度の贖罪日の規定
きょうの箇所には、年に一度行われる贖罪日の規定、つまり、大祭司と至聖所、臨在の幕屋、祭壇の汚れを清める儀式が細やかに規定されています。この儀式によって、主なる神とイスラエルの民とをつなぐ人と場所が清…
ハバクク 1章
律法は無力となり
正義はいつまでも示されない。
神に逆らう者が正しい人を取り囲む。
たとえ、正義が示されても曲げられてしまう。 ハバクク書 1章4節
神は神の民を叩きのめす
ハバククは紀元前7世紀に生きた預言者です。ユダの民の悲惨と不条理を神に激しく告発する言葉から始まります。「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに、いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、…
マルコ 10章17-31節
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
マルコによる福音書 10章25節
神にこそ心を向け、永遠の命を求めよう
主イエスは、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」と教えられました。これは、弟子たちにとって驚きでした。財産が多くある者は、神から祝福されていると思われていたからです。「金持ちが神の…
民数記 26章
その中には、モーセと祭司アロンがシナイの荒れ野でイスラエルの人々を登録したときに登録された者は一人もいなかった。 民数記 26章64節
次世代に望みを託して
人口調査が命じられたのは、これが二度目でした。一回目は38年前、シナイ山のふもとで幕屋を建て上げた、その翌月のことでした。この時に登録された者の総数は60万3,550人でした(民数記1章46節)。今回の総数は60…
民数記 27章
あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。
民数記 27章20節
最後まで隣人に仕えた偉大なモーセ
もう後のことは知らないよ…。ふて腐れた気持ちでモーセがこうつぶやいたとしても、不思議ではありません。40年もの間、力を尽くして御民を導いて来たのにもかかわらず、目の前にしている約束の地に入ることが許され…
民数記 28章
あなたたちは、わたしの食物である献げ物を、燃やしてささげる宥めの香りとして、定められた時に忠実にわたしにささげなさい。
民数記 28章2節
献げ物をわたしの食物と呼ばれる神
かつてイスラエルの人びとは出エジプトに先立ち、神のご命令に従って小羊を屠りました。その血によって神の裁きの災いが自分たちの家を過ぎ越していく、「主の過越」(16節)の幸いを得るためでした。そして出エジ…
民数記 29章
8日目には、…雄牛1頭、雄羊1匹、無傷の1歳の羊7匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、燃やして宥めの香りとする。 民数記 29章35節~36節
ただお独りで全世界を贖われる主
第7の月の15日から7日間(後には8日間)行われた「主の祝い」(12節)というのは、仮庵祭のことです。この祭りでは、かなり多くの数のいけにえが求められ、過越祭の約2倍でした。ことに最も高価な雄牛が7日目までで…
レビ 17章
生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。 レビ記 17章11節
血の中の命による罪の贖い
神を神として礼拝するため、そして、神の民としての聖さを保つための教えが17章から続きます。 まず、血が何なのか。命が血の中にあることが教えられます。その命は神が与えられるものです。その命を失い、神との交…
ハバクク 2章
「しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」 ハバクク書 2章4節
救いは信仰のみによる
バビロニアの軍勢が押し寄せてくるとの声を聞いて、ユダの人びとは右往左往します。ハバククは、この事態が神の裁きであることを告発します。しかし、彼は神の裁きの彼方に神の救いを望み見ています。「神がわたし…
マルコ 10章35-45節
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書 10章45節
主イエスは自分の命を献げるために
「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」。このように願い出た弟子のヤコブとヨハネ。彼らに腹を立てた他の弟子たち。そのような弟子たちに主イエスは、「あ…
民数記 30章
しかし、父がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて無効となる。…主は彼女を赦されるであろう。 民数記 30章6節
主は家庭の平和を大切にされる
主に誓願を立てること自体は律法の命令による義務ではありませんでした。誓願は、自分が持っている何かを自由な意思で主に献げたり、自分の生活行動に自由な意思で制約を加えたりすることを誓うものです。 自由な意…
マタイ 26章
「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 マタイによる福音書 26章26節
弱く、苦しむ私たちのために
主イエスは、「取って食べなさい」と言って、弟子たちにパンを与えられました。これから自分を見捨てることになる弟子たちに対してです。しかも、「よかったら食べてください」ではありません。「取って食べなさい…
マタイ 27章
イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マタイによる福音書 27章46節
このわたしが「わが父」と呼べる幸い
主イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫び、呪われ、見捨てられる苦しみの中で死んでくださいました。 神の御子であるイエスは、神を「わが父」と親しく呼ぶことのできるお方です…
マタイ 28章
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 マタイによる福音書 28章8節
恐れるわたしを誰よりもご存じの方
マリアたちが墓に来たとき、主イエスのお体はそこにありませんでした。恐れる婦人たちに、かねて言われていた通り主イエスが復活したことを告げた天使は、さらに彼女たちに、復活の主イエスがガリラヤに先に行かれ…
レビ 18章
これまで行われてきたいとうべき風習の一つでも行って、身を汚してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。 レビ記 18章30節
神の秩序を違えずに歩む
神はエジプトで奴隷とされていた民を救い出し、シナイ山で律法を与えられました。そして、アブラハムに約束された地カナンに入る前に、その地に住む人々の避けるべき慣習に染まることがないように、おごそかに教え…
ハバクク 3章
怒りのうちにも、憐れみを忘れないでください。 ハバクク書 3章2節
怒りのうちにも憐れみを
ハバククのとりなしの祈りです。ユダの民はカルデア人(バビロニア)の来襲から助かる見込みはありません。神の裁きだからです。しかし、ハバククはなお助かる道を神に祈り、「神に従う人は信仰によって生きる」と…
マルコ 10章46-52節
多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 マルコによる福音書 10章48節
主の憐れみを熱心に求め続けよう
目の見えないバルティマイという人がいました。彼は道端に座り、物乞いをしていました。その近くを主イエスの一行が通ったとき、彼は主イエスに向かって叫びます。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください…
民数記 31章
彼らは、主がモーセに命じられたとおり、ミディアン人と戦い、男子を皆殺しにした。 民数記 31章7節
「皆殺し」をどのように受けとめるか
ここで「皆殺し」が行われた背景には、ミディアン人がイスラエルの民を誘惑して罪に陥れ、神の罰を招き、多くのイスラエルの民を死に至らせた事件がありました(25章)。注解者によって解釈は一様ではありませんが…
民数記 32章
「戦いのために武装した僕どもは皆、わが主の命令に従い、主の御前に渡って行きます。」 民数記 32章27節
ヨルダン川を共に渡り行く私たち
ルベンとガドの人びとは、牧畜に適したヨルダン川の手前(東岸)の土地を割り当ててほしいとモーセに願い出ました。彼らは、自分たちに特に役立つこの地域は既に獲得できたのだから、それを自分たちに割り当てても…
民数記 33章
モーセは主の命令により、出発した地点を旅程に従って書き留めた。 民数記 33章2節
誤りやすい私たちと共に神はおられる
エジプトを脱出したイスラエルは、神に導かれて荒れ野を進みます。その道行きは困難を極めました。いや、荒れ野という道程そのものが厳しかったのではありません。この道を行くときに、しばしば神につぶやいたこと…
ガラテヤ 1章
キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたが…、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。 ガラテヤの信徒への手紙 1章6節
絶えざる不断の悔い改めを
今はローマ・カトリック教会とプロテスタント教会の戦いなどはなく、両教会で協力して聖書翻訳をする時代です。しかし、宗教改革はルターやカルヴァンの宗教改革運動だけではありません。宗教改革は歴史のある時期…
毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2024年10月は京都府八幡市にある「男山教会」です。