民数記 25章
「祭司アロンの孫…ピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 民数記 25章11節
主の御怒りを去らせる熱情
小野田 雄二(上野緑ケ丘教会)
「祭司アロンの孫…ピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 民数記 25章11節
小野田 雄二(上野緑ケ丘教会)
2024年10月の聖書日課をまとめて表示します。
「民数記」の聖書日課をまとめて表示します。
小野田 雄二が担当した聖書日課をまとめて表示します。
絶望と、なおそこに輝いていた希望、25章はその二つを教えています。一つ目の絶望は、祝福の基として選ばれている(24章9節)のにもかかわらず、目を覆いたくなるほどの御民の背信です。
モアブの娘たちの誘いにすっかり乗せられ、ペオルのバアルを拝むことにさえ、ためらいがありません。主の御怒りは大きく、避けられない処罰の死を前に、共同体全体は幕屋の入り口に集まり、嘆き泣きます。ところが、その人びとの目の前に、入ることが許されるはずのないミディアン人の女をあろうことか連れて入ってくる者までいたのです。この災害によって死んだ者の数は2万4千人を数えました。
しかし、この絶望の中に輝いていた希望がありました。それは、主の御怒りを去らせたピネハスの熱情です。それでは、主が抱いていたのと同じその熱情、それは、何に対するものであったのでしょうか。それはきっと、我らは決して汚れた者になってはならず、常に、主に喜ばれる聖なる民でなければならない!この志に対する熱情であったことでしょう。
主の御怒りを去らせたピネハスの熱情に私たちも倣わなくてはなりません。
【祈り】
主よ、くすぶる灯心であるこのわたしを憐れんでください。わたしも熱情をもってあなたに仕える者としてください。