リジョイス聖書日課 2021年4月

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2021年4月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』PDF版 5月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 5月号配信中

パソコンやタブレットで読める、月刊誌 『リジョイス』PDF版の配信を行っています。当ホームページで配信している聖書日課だけはなく、1冊全部を読むことができます。

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  5月分配信中

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  5月分配信中

耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

カルヴィニズムる人たち 2021年4月

カルヴィニズムる人たち 2021年4月

2021年4月の「カルヴィニズムる人たち」は板宿教会会員の保田広輝さんです。難病患者として福音や試練を考えるショートメッセージを伝える活動をされています。

わたしの街のこの教会 Vol.50 大宮教会

わたしの街のこの教会 Vol.50 大宮教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2021年4月は埼玉県さいたま市 にある「大宮教会」です。

ヨハネ 19章28節

この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 ヨハネによる福音書 19章28節

十字架上の第五のことば-苦痛-

「今や成し遂げられたすべてのこと」とは、何のことでしょうか。この問いに対する答えがイザヤ書53章5節にあります。すなわち「彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、…

ヨハネ 19章29-30節

イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 ヨハネによる福音書 19章30節

十字架上の第六のことば-勝利-

もしも、もしもこのとき、「成し遂げられなかった」と主が嘆きの内に言われたのなら、私たちはどうなっていたでしょうか。ちょっと考えてみましょう。 そのとき私たちは、平安を失い、真っ暗闇に閉じ込められ、そし…

ルカ 23章44-49節

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。 ルカによる福音書 23章46節

十字架上の第七のことば-凱旋-

いよいよ、十字架上の最後の言葉に至りました。主イエスは「成し遂げられた」と勝利を宣言されて後、死を目の前にして大声で叫ばれました。すでに、肉体の力はすっかり失われていたのにもかかわらず、大声で叫んで…

マルコ 16章2-6節

そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。…若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」 マルコによる福音書 16章2節、6節

週の初めの日の朝

主イエスが十字架につけられて殺されたことは、多くの弟子たちの心をどん底へと落としました。落ち込んでいる女性の弟子たちは、安息日が終わると、肩を落としつつ墓へと向かいます。週の初めの日の朝、主イエスの…

ヨハネ 20章3-8節

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。…イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」 ヨハネによる福音書 20章3節、7~8節

主イエスの復活を信じる

御使いから主イエスが復活されたことを聞いたマグダラのマリアたちは、このことを弟子たちに報告しました。 弟子たちにとって驚くべき報告でしたが、ペトロとヨハネは墓へと向かいました。墓の中の光景は、遺体を巻…

ヨハネ 20章11-18節

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。…イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 ヨハネによる福音書 20章15~16節

捜しているお方に出会う

葬られたはずの主イエスの体が墓の中にない。せめて遺体に香油を塗って思いを馳せたいと思っていたマリアの悲しみはとても大きく、ただ墓の外で泣いていました。そこに復活された主イエスが目の前に現れてください…

ルカ 24章13-35節

すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 ルカによる福音書 24章31節~32節

心を燃やし、信仰の目を開かれる主

週の初めの日、二人の弟子がエルサレムからエマオの村に向かっていました。するとそこに、復活された主イエスが近づいて一緒に歩き始められました。 けれども、弟子たちは目の前にいる主イエスが分からないまま旅を…

ルカ 24章36-49節

そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。…亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 ルカによる福音書 24章38節~40節

十字架で死なれた同じ主が生きている

エマオの途上で復活の主イエスと出会ったクレオパたちは、エルサレムに戻って他の弟子たちに事の次第を話しました。そこに主イエスが「平和があるように」と言って現れました。弟子たちは驚くばかり。クレオパたち…

ヨハネ 21章1-14節

イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 ヨハネによる福音書 21章5節~6節

イエスが主であると知る

復活された主イエスは、繰り返し何度もご自身を弟子たちに現わされました。弟子たちがエルサレムからガリラヤへと移動したときもご自身を現してくださいました。 このとき、弟子たちはガリラヤ湖で漁をしていました…

マタイ 28章16-20節

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書 28章19節~20節

主イエスはいつまでもあなたと共にいる

復活の主イエスは、ガリラヤのとある山の上で弟子たちとお会いになりました。これまで数々の教えと奇跡によって主の力と栄光を現わされた山の上で、主イエスと弟子たちが出会います。弟子たちの中にはまだ疑う者も…

ヨハネ 20章19-31節

さて8日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 ヨハネによる福音書 20章26節

主のみが与えることのできる真の平和

復活なさった主イエスが弟子たちの前に現れるたびに使われた言葉が、「あなたがたに平和があるように」でした。その場所にいなかったトマスのために再び現れ、平和を宣言なさいました。31節までの間で3回繰り返され…

2コリント 4章7-15節

「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。 コリントの信徒への手紙二 4章13節

我は

使徒信条は、「我は」と一人称単数形で信仰を告白します。他の誰かがこう思っているとか、世の中ではこう考えられているということではなく、この「わたし」が信じていることを告白するのです。 その内容は、父、子…

創世記 15章1-6節

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 創世記 15章6節

信ず

使徒信条は、「信ず」という言葉を繰り返します。キリスト教における「信じる」とは、確かな対象を真理として信じるということです。父なる神、子なる神、聖霊なる神を信じるのです。 この神は生きて働いておられま…

詩編 103編

父がその子を憐れむように
主は主を畏れる人を憐れんでくださる。 詩編 103編13節

父なる神

神は「父」です。古代社会において父は大きな権威を持っていました。誰も父を侮ることはできません。しかし、神の父としての権威は横暴な支配者がふりかざすようなものではなく、子どもに対する愛と憐れみに満ちた…

創世記 17章1-8節

「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」 創世記 17章1節

全能の神

神は「全能」の方です。その全能とは、ただ「なんでも」できるということではなく、ご自身に「ふさわしいこと」は必ずできるということです。使徒信条は神を「全能の父」と呼んでいます。神の全能は父としての愛と…

創世記 1章

初めに、神は天地を創造された。 創世記 1章1節

造り主

神は天地の「造り主」です。何もないところからすべてを造られました。御言葉によって創造し、すべてを良いものに造られました。そして、私たち人間をご自身にかたどって造られました。神はこの世界と人間がすばら…

イザヤ 66章1-2節

主はこう言われる。
天はわたしの王座、地はわが足台。 イザヤ書 66章1節

天地

神は「天地」の造り主です。天地とは、この造られた世界のすべてのものを指しています。空高く遠いところにあるものも、海深く低いところにあるものも、見えるものも、見えないものも、神が創造されました。それゆ…

ルカ 24章36-48節

「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、3日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」 ルカによる福音書 24章46節~48節

止まらない日本の福音宣教

復活なさった主イエスは、弟子たちに手と足の傷跡をお見せになり、復活が本当であることを示されました。そして、それが旧約聖書に預言されていたことの成就であると強調されました。「わたしについてモーセの律法…

ヨハネ 1章1-18節

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネによる福音書 1章14節

その独り子

イエス・キリストは父なる神の「独り子」と呼ばれています。それは、父なる神との深い愛の交わりの中におられるということであり、キリストご自身もまた神であられ、神としての力と栄光を持っておられるということ…

ヨハネ 20章24-29節

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 ヨハネによる福音書 20章28節

我らの主

イエスを「主」と呼ぶのは、最も古く、最も簡潔な信仰告白の一つです。使徒信条は、「その独り子」と告白してイエスと父なる神の関係を言い表し、続いて「我らの主」と言うことでイエスと私たちとの関係を告白しま…

マタイ 1章18-25節

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 マタイによる福音書 1章20節~21節

イエス

使徒信条は、天地を造られた全能の父なる神への信仰告白に続いて、一人の人間イエスへの信仰を告白します。両者はあまりに不釣り合いに感じられますが、ここにキリスト教信仰の特色があります。主イエスは、他の歴…

マタイ 16章13-20節

イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 マタイによる福音書 16章15節~16節

キリスト

主イエスは弟子たちによって「メシア」と告白されました。それは、「油注がれた者」という意味のヘブライ語で、そのギリシア語訳が「キリスト」です。旧約時代には、預言者、祭司、王に油が注がれ、神の民の中で特…

ルカ 1章26-38節

天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」 ルカによる福音書 1章35節

聖霊によりてやどり

神がこの世界に触れてこられるとき、そこには聖霊の働きがあります。すでに天地創造のとき、神の霊が水の面を動いていました。そして、ついに神の独り子がこの地上に到来されたときにも、聖霊が特別な役割を果たし…

ルカ 2章1-21節

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 ルカによる福音書 2章6節~7節

おとめマリアより生まれ

誰もが母の胎から生まれてくるように、主イエスも母マリアの胎から生まれてこられました。それは、聖霊の働きによって、夫ヨセフと一緒になる前に生まれるという特別な誕生でしたが、その特別さは、まことの神であ…

ヨハネ 10章11-18節

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」 ヨハネによる福音書 10章11説

主は良い羊飼い

朝鮮戦争の前に、わたしの父は牛を運ぶ仕事をしていました。ある夜、山で牛が虎の目を見て動かなくなったため、父は牛を捨てて山から逃げました。主イエスは、「自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、…

マルコ 15章1-15節

ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 マルコによる福音書 15書14節~15節

ポンテオ・ピラトのもとに

使徒信条には、母マリアに続き、もう一人の人物の名前が出てきます。ポンテオ・ピラトです。ローマ帝国の地方総督としてユダヤの地を治めていた人物です。その名が記されることによって、イエスが時代も場所も特定…

マルコ 15章16-41節

3時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マルコによる福音書 15章34節

苦しみを受け

使徒信条は、主イエスの誕生から十字架の死へとただちに進みますが、そのご生涯の働きが忘れられているわけではありません。そのご生涯を見渡せば、罪人の世界へと遣わされた救い主の歩みは、そのすべてが苦しみで…

ルカ 23章26-43節

「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 ルカによる福音書 23章33節

十字架につけられ

ユダヤ人によって捕らえられ、総督ピラトの前に引き出された主イエスは、ローマ帝国の処刑方法である十字架刑によって犯罪人の一人として殺されました。それは人の目には無意味な死に見えるものでした。 しかし、十…

ルカ 19章28-37節

イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 ルカによる福音書 19章30節

死にて

主イエス・キリストは死なれました。人なら誰もが死ぬように、キリストも人として死なれました。しかし、死は自然にあったものではなく、アダムが罪を犯すことによってこの世界に入ってきたものです。特に死には神…

ヨハネ 19章38-42節

その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。 ヨハネによる福音書 19章38節

葬られ

主イエスは、アリマタヤのヨセフによって墓に葬られました。ローマ帝国の刑罰で殺された主イエスの遺体を引き取るということは勇気のいることでした。しかし、ヨセフの願いは聞き入れられ、ニコデモの協力のもと、…