リジョイス聖書日課 2019年10月

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2019年10月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  11月分配信中

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耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

月刊誌 『リジョイス』PDF版 11月号配信中

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月刊誌 『リジョイス』PDF版 申込随時受付中。主な内容: 恵みの文字、中世教会の祈り 聖書日課、いのちのパン、アウグスティヌスの古くて新しい物語、カルヴィニズムる人たち、わたしの街のこの教会、外国教会関係委員会通信、寄り添って生きる、など。

わたしの街のこの教会「田無教会」

わたしの街のこの教会「田無教会」

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。10月は東京都西東京市の中心部にある「田無教会」です。

カルヴィニズムる人たち 10月

カルヴィニズムる人たち 10月

10月の「カルヴィニズムる人たち」は高知教会 教会員の坂本尚代さんです。放課後児童クラブ(学童クラブ)の支援員をされています。

マタイ 8章

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 マタイによる福音書 8章26節

なぜ怖がるのか

主イエスと弟子たちが舟に乗っておられたとき、激しい嵐が起こりました。舟は今にも波にのまれ、揺れて沈みそうです。弟子たちは、相当、怖かったのではないでしょうか。 ところが、弟子たちが慌てふためいていたの…

マタイ 9章

また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 マタイによる福音書 9章36節

深く憐れまれるイエス

ある日、主イエスは、ご自分のもとに集まって来た群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てているのを見られました。青草の原に導き、猛獣や強盗から守り、正しく導いてくれる羊飼いが羊には必要です。もし、羊飼い…

マタイ 10章

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 マタイによる福音書 10章28節

人を恐れてはならない

主イエスは、弟子の中から12人を選び、汚れた霊に対する権能を授けられました。そして、その12人を世に派遣するにあたり、さまざまなことを命じられました。その一つが「人々を恐れてはならない」です。主イエスは…

マタイ 11章

はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。 マタイによる福音書 11章11節

天の国で最も小さな者

洗礼者ヨハネは、救い主イエスを指し示した人物です。ヨハネは、救い主イエスが来られるための準備をしました。このヨハネの働きは、この地上に生まれた者の中で最も偉大なものでした。救い主の到来を告げた預言者…

マタイ 12章

「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 マタイによる福音書 12章50節

主イエスの兄弟姉妹

ある日、主イエスは、いつものように群衆に向かって話しておられました。するとある人が来て、主イエスの母と兄弟が立って待っていることを教えてくれました。そのとき、主イエスは弟子たちを指して、「見なさい。…

ルカ 1-10節

「1日に7回あなたに対して罪を犯しても、7回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」 ルカによる福音書 17章4節

赦し、信仰、奉仕

きょうの箇所は、つまずかせることへの警告と罪の赦し及び信仰と奉仕についての教訓とによって構成されています。これらの一つ一つが教会という信仰共同体における生活の基本原理です。 主イエスは弟子たちに、「小…

エゼキエル 8章

「人の子よ、見たか。ユダの家がここで数々の忌まわしいことを行っているのは些細なことであろうか。彼らはこの地を不法で満たした。」 エゼキエル書 8章17節

見たか、神の栄光に照らされる人間の暗闇を

エルサレムから遠く異教の地バビロンに捕囚された民。その中に祭司の子エゼキエルがいました。「主なる神の御手」が彼に下った時、彼は神の側に立って人間が犯す罪を凝視し、また人間の側に立って神の嘆きに苦悶す…

エゼキエル 9章

主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」 エゼキエル書 9章4節

その印には、神の慈しみの色が滲む

罪に汚染された神殿をたどるエゼキエルの耳に大きな声が聞こえてきます。「この都を罰する者たちよ、おのおの破壊する道具を手にして近寄れ」(1節)。神の怒りが徹底した「破壊」となってあらわされる、その幻の中…

エゼキエル 10-11章

「主なる神はこう言われる。『確かに、わたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった。』」 エゼキエル書 11章16節

主の栄光は民の日々を照らす

「主の栄光」がエルサレム神殿から去ってゆきます。敷居にとどまり、東の門の入り口に止まり、都の東にある山の上にとどまり。まるでその場所から離れることをためらうように、まるで腐敗に染まったその場所をなお…

エゼキエル 12章

「あなたは言わねばならない。『わたしは、あなたたちのためのしるしである。わたしがやって見せたようなことが、彼らに起こる。彼らは捕囚として、捕囚の地へ行く。彼らの中の首長も、暗闇の中で荷物を肩に担ぎ、壁に運び出すための穴をうがって出て行く。彼は目でこの土地を見ないように顔を覆う。』」 エゼキエル書 12章11節~12節

奇異な行為に神の恩寵が潜む

幻は離れ、その意識をバビロンに戻したエゼキエルは続けて、エルサレムに残る民への預言を神から受け取ります。それは民に待ち受ける末路と希望とを示すものでした。 エゼキエルが命じられたことは、第一に昼間に自…

エゼキエル 13章

「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは、はがれ落ちる』と。」 エゼキエル書 13章10節~11節

真実を指さす言葉に耐える

エゼキエルが語り示す預言とは対照的に、イスラエルの人びとの間には妙に楽観的な空気が漂っていました。主の預言者が語る神の怒り、破滅の時を茶化したりもしていました。誰も本当のことを知りたくなかったからで…

エゼキエル 14章

「お前たちは彼らの歩みと行いを見るとき、わたしがエルサレムにくだした災い、わたしがそこに臨ませたすべてのことについて慰められる。お前たちは、彼らの歩みと行いとを見て、それによって慰められ、わたしがそこで行ったすべてのことは、理由なく行ったのではないことを知るようになる」 エゼキエル書 14章22節~23節

生きてきたこと、それ自体に慰めがある

人びとがいかに楽観的な空気に浸り、また偶像に心寄せて恐れを取り繕ったとしても、神の裁きをやり過ごすことはできません。罪が重ねられています。神の怒りの時が迫っています。それは飢饉、荒廃、滅び、疫病とし…

ルカ 17章11-19節

そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 ルカによる福音書 17章17節~18節

救われた重い皮膚病を患っていた一人

ルカ福音書だけに記される、主イエスのいやしの御業です。主イエスの超自然的ないやしの御業は主イエスの神性を示しています。 主イエスに対して、しばしば人びとは二分された反応を示します。主イエスを受け入れよ…

箴言 7章

わが子よ、わたしの言うことを守り
戒めを心に納めよ。
戒めを守って、命を得よ。
わたしの教えを瞳のように守れ。
それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。

それはあなたをよその女から
滑らかに話す異邦の女から守ってくれる。 箴言 7章1節~5節

教えを瞳のように守る

世の中には、神の教えと異なる主義・主張がいくつもあります。神の戒めと相反する習慣や伝統も多くあります。私たちは、こうしたものと隣り合わせに生活していますから、いつ、どこで、神の教えと異なる言葉に誘惑…

箴言 8章

聞け、わたしは指導者として語る。
わたしは唇を開き、公平について述べ
わたしの口はまことを唱える。
わたしの唇は背信を忌むべきこととし
わたしの口の言葉はすべて正しく
よこしまなことも曲がったことも含んでいない。 箴言 8章6節~8節

神の知恵に聞く

箴言8章は、1節の「知恵が呼びかけ、英知が声をあげているではないか」との書き出しで始まります。神との契約関係を前提とし、その中で神の言葉に従って生きるための知恵が人格化されて語られていくのです。 その知…

箴言 9章

不遜な者を諭しても侮られるだけだ。
神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。
知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。

主を畏れることは知恵の初め
聖なる方を知ることは分別の初め。 箴言 9章7節~10節

真の知恵は神を畏れること

箴言は、神に従う知恵ある人生へと人びとを招こうとしています。 神を畏れる人とそうではない人との違いは非常に大きく、生き方にも違いが現れます。箴言9章では、「不遜な者」と「知恵ある人」が対比されます。「…

箴言 10章

神に従う人の口は命の源
神に逆らう者の口は不法を隠す。
憎しみはいさかいを引き起こす。
愛はすべての罪を覆う。
聡明な唇には知恵がある。
意志の弱い者の背には杖。
知恵ある人は知識を隠す。
無知な者の口には破滅が近い。 箴言 10章11節~14節

私たちの口が命の源となる

箴言10章8節から14節には、口や言葉についての表現が多く出てきます。口で失敗することの多い私たちは、注意深く耳を傾ける必要があるでしょう。 神に逆らう者の口は、8節と10節で「滅びに落とされる」と言われ、11…

箴言 11章

神を無視する者は口先で友人を破滅に落とす。
神に従う人は知識によって助け出される。
神に従う人が幸いを得れば町は喜び
神に逆らう者が滅びれば歓声をあげる。
正しい人の祝福によって町は興り
神に逆らう者の口によって町は滅びる。 箴言 11章9節~11節

神に従う人の幸いは広がる

この箴言では神に従う人、神に逆らう者が対照的に表現され、それぞれ自分の身に招く結果が異なっています。 神の働きかけを無視する者がいます。それは、言葉や態度に色濃くあらわれます。口先だけの言葉はやがて偽…

箴言 12章

忠実に発言する人は正しいことを述べ
うそをつく証人は裏切る。
軽率なひと言が剣のように刺すこともある。
知恵ある人の舌は癒す。
真実を語る唇はいつまでも確かなもの。
うそをつく舌は一瞬。 箴言 12章17節~19節

人を癒す言葉

箴言12章は、すべて対比の並行文で書かれていて、ここでも神に従う人と神に逆らう人が比較されています。 17節の「忠実に発言する人」、「うそをつく証人」は、裁判に召喚されて証言する場面を想像させます。うそを…

ルカ 18章1-8節

「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。」 ルカによる福音書 18章7節

やもめの粘り強い祈り

この箇所は、終末を生きる信仰者の祈りの姿勢に焦点を当てています(17章20~37節、18章8節を参照)。主イエスは、「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話され」まし…

マタイ 13章

「だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。…しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」 マタイによる福音書 13章13節、16節

耳のある者は聞きなさい

これは主イエスの言葉です。マタイによる福音書13章は、「種を蒔く人のたとえ」を主イエスが群衆に語る場面から始まっています。そして、「耳のある者は聞きなさい」という言葉で、そのたとえは締めくくられていま…

マタイ 14章

弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 マタイによる福音書 14章26節~27節

恐れることはない!

ここに記されている湖の上を歩くお話は、主イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人の人びとを養った、という奇跡の後に記されている出来事です。その奇跡の後、主イエスは、強制的に弟子たちを向こう岸に渡らせるために…

マタイ 15章

「それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。」 マタイによる福音書 15章5節~6節

神の言葉に生きる

ファリサイ派の人たちや律法学者たちは、何かにつけて主イエスや弟子の行動に言いがかりをつけました。きょうの箇所でも、食事の前に手を洗わないことは、言い伝えを破ることだと言ってきました。主イエスは、この…

マタイ 16章

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」 マタイによる福音書 16章24節~26節

真の命を得るために

主イエスは、弟子たちに、ご自分が多くの苦しみを受けて殺され、3日目に復活することになっていると告げられました。するとペトロが、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と、主イエス…

マタイ 17章

ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」 マタイによる福音書 17章5節~7節

主の御声に聞き従う

主イエスは三人の弟子を連れて山に登りました。そこで、弟子たちが見たのは、栄光に輝く主イエスが、モーセとエリヤと共に語り合う光景でした。その時、ペトロは、自分たちがどれほどすばらしいところに置かれてい…

マタイ 18章

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。」 マタイによる福音書 18章15節~16節

兄弟を得る

「兄弟を得る」という「兄弟」とは誰のことでしょうか。それは私を神が愛してくださっているように、神が愛しておられる人のことです。 その兄弟が罪を犯したとき、私たちはどのようにすべきか。それには、いろいろ…

ルカ 18章9-14節

「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 ルカによる福音書 18:14

ファリサイ派の人と徴税人

その当時、ファリサイ派の人と徴税人は対照的でした。ファリサイ派の人は、アブラハムの子という特権意識と律法の遵守によって、正しい人とみなされていました。逆に徴税人は、私腹を肥やすことや異邦人との交際な…

エフェソ 2章1-10節

事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 エフェソの信徒への手紙 2章8節~9節

ただ神の恵みによって

ただ神の恵みによって救われる。私たちはそれを信じて、受け取らせていただくだけでいい。この「福音=グッドニュース」を、聖書から再発見したことが、ルターの原動力でした。当時のローマ・カトリック教会から破…

エフェソ 2章4-6節

しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。 エフェソの信徒への手紙 2章4節~6節

罪のために死んでいた

「罪のために死んでいた」。激しい言葉遣いです。でも、こういう言葉で自分の過去を振り返ることができる人は幸いです。神の恵みによって、自分の過ちに気づかせていただいた人です。そして今は、「キリストと共に…

申命記 5章23-27節

「我々の神、主は大いなる栄光を示されました。我々は今日、火の中から御声を聞きました。神が人に語りかけられても、人が生き続けることもあるということを、今日我々は知りました。…この大きな火が我々を焼き尽くそうとしています。これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます。」 申命記 5章24節~25節

神が語りかけてこられる

宗教改革者たちは、ひたすらに聖書を読んだ人たちでした。当時の教会の硬直化した教えに縛られることなく、聖書を原語で読み、新鮮な福音の再発見に心を躍らせました。それを人びとに身近な言葉に訳して提供したの…

2ペトロ 1章16-21節

何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。 ペトロの手紙二 1章20節~21節

神の言葉に聞き従う

日本キリスト改革派教会の伝統においては、「連続講解説教」が主流です。これは、宗教改革者たちの実践を模範としたものです。説教は、神の言葉である聖書を解き明かすがゆえに、神の言葉です。聖書全体は、同一著…