深く憐れまれるイエス | マタイによる福音書 9章

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マタイによる福音書 9章

また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 9章36節

深く憐れまれるイエス

ある日、主イエスは、ご自分のもとに集まって来た群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てているのを見られました。青草の原に導き、猛獣や強盗から守り、正しく導いてくれる羊飼いが羊には必要です。もし、羊飼いのいない羊の群れがいたとしたら、その羊の群れは、少しも生きていくことはできないでしょう。羊飼いのいない羊の群れは、日に日に弱っていくしかありません。

ですから、飼い主のいない羊のように弱り果てている群衆を見て、主イエスは、深く憐れまれました。「深く憐れむ」という言葉は、内臓がひきちぎられるような痛みをあらわしています。主イエスは、人びとの苦しみをご自分の痛みとして受け止めて、共に苦しんでくださいます。

この主イエスこそ、弱り果てた羊に命を与え、正しく生きていくことができるように導いてくださるまことの羊飼いです。主イエスは、羊の群れである教会に命を与え、教会を悪と罪から守り、正しく導いてくださいます。また、主イエスは、神の言葉である聖書を通して、教会を養ってくださいます。まことの羊飼いである主イエスに従って歩んでいきましょう。

浅野 正紀(江古田教会)