神の恵みに生きる | テモテへの手紙一 1章

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テモテへの手紙一 1章

わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙一 1章15節~16節

神の恵みに生きる

学生時代に母教会の牧師から教えられた、大切なことがあります。「イエス様の救いはすばらしい。こんな小さな者に神様はあり余る恵みを与えてくださった」。その牧師は、教会では素朴で裏表のない、面倒見の良い父親のような存在でした。その、自分を誇るのではなく主イエスを誇りとするお姿から、主イエスの救いの貴さを、言葉と背中で教えていただきました。

わたしはクリスチャンの家庭に育ちました。救いの恵みが頭ではわかっていても、心で理解することがなかなかできませんでした。そのようなわたしにとって、その牧師の存在は、救いの喜びに生きる人のモデルでした。

主なる神は、小ささや弱さにもかかわらず、私たちを恵みの器として選んでくださいます。罪深い私たちを憐れみ、忍耐し続けてくださいます。それによって、人の立派さではなく、神が恵み深く、偉大なお方であることがあらわされるのです。

立派であることが求められているのではありません。神の憐れみと忍耐のもとに置かれて、私たちは神の恵みをあらわす器として用いられます。

國安 光(淀川キリスト教病院)