坂部 勇の聖書日課 27本

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坂部 勇

坂部 勇(サカベ イサム)

所属:厚木教会

坂部 勇の聖書日課(日付順)

子と親の関係とは

箴言 1章

わが子よ、父の諭しに聞き従え。
母の教えをおろそかにするな。 箴言 1章8節

親と子の関係とは

エフェソの信徒への手紙 6章

父親たち、子どもを怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。 エフェソの信徒への手紙 6章4節

妻と夫の関係とは

エフェソの信徒への手紙 5章

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。 エフェソの信徒への手紙 5章21節

上司と部下の関係とは

エフェソの信徒への手紙 6章

奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。 エフェソの信徒への手紙 6章5節~7節

国家との関係

ローマの信徒への手紙 13章

人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。 ローマの信徒への手紙 13章1節~2節

教会における秩序

使徒言行録 20章

どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。 使徒言行録 20章28節

天の国に入る者とは

マタイによる福音書 19章

イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。 マタイによる福音書 19章14節~15節

目が見えるようになった二人の信仰

マタイによる福音書 20章

イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。 マタイによる福音書 20章32節~34節

主の召しに従う

マタイによる福音書 21章

「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」 マタイによる福音書 21章2節~3節

神のものは神に返しなさい

マタイによる福音書 22章

イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 マタイによる福音書 22章20節~21節

父なる神の慈愛

マタイによる福音書 23章

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 マタイによる福音書 23章37節

御言葉は永遠に不滅です

マタイによる福音書 24章

「はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 マタイによる福音書 24章34節~35節

平和の君が来る

ゼカリヤ書 9章

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。 ゼカリヤ書 9章9節~10節

苦しみの先にある恵み

ゼカリヤ書 10章

彼らは苦しみの海を通って進み
波立つ海を打つ。
ナイルの深みはすべて干上がり
アッシリアの高ぶりは引き降ろされ
エジプトの王笏は失われる。
わたしは主にあって彼らに力を与える。
彼らは御名において歩み続けると
主は言われる。 ゼカリヤ書 10章11節~12節

羊飼いの命の代価

ゼカリヤ書 11章

彼らは銀30シェケルを量り、わたしに賃金としてくれた。主はわたしに言われた。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を。」わたしはその銀30シェケルを取って、主の神殿で鋳物師に投げ与えた。 ゼカリヤ書 11章12節~13節

主が来られる時、全ての偶像はなくなる

ゼカリヤ書 12-13章

その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。その日が来る、と万軍の主は言われる。わたしは数々の偶像の名をこの地から取り除く。その名が再び唱えられることはない。また預言者たちをも、汚れた霊をも、わたしはこの地から追い払う。 ゼカリヤ書 13章1節~2節

すべてを治められる王である主イエス

ゼカリヤ書 14章

主は地上をすべて治める王となられる。
その日には、主は唯一の主となられ
その御名は唯一の御名となる。 ゼカリヤ書 14章9節

見失った羊を見つけ出す主イエス

ルカによる福音書 15章

「100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」 ルカによる福音書 15章4節

私たちの心を知る神

ルカによる福音書 16章

「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
ルカによる福音書 16章13節

神に仕えるとは

ルカによる福音書 17章

「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
ルカによる福音書 17章10節

神により義とされるとは

ルカによる福音書 18章

「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」
ルカによる福音書 18章13節

失われていた者を救う主イエス

ルカによる福音書 19章

イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書 19章9節~10節

人の子は安息日の主である

マルコによる福音書 2章

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」 マルコによる福音書 2章27節~28節

神の御心を行う人が神の家族

マルコによる福音書 3章

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 マルコによる福音書 3章35節

神の国とはからし種のようなもの

マルコによる福音書 4章

「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。」 マルコによる福音書 4章30節~31節

風も湖さえも従わせる主イエス

マルコによる福音書 4章35-41節

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 マルコによる福音書 4章40節

あなたの信仰があなたを救った

マルコによる福音書 5章21-43節

イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 マルコによる福音書 5章34節