人の子は安息日の主である | マルコによる福音書 2章

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マルコによる福音書 2章

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マルコによる福音書 2章27節~28節

人の子は安息日の主である

ある安息日に、ファリサイ派の人々は、主イエスの弟子たちが歩きながら麦の穂を摘んでいる姿を見ました。すると、彼らは主イエスに、弟子たちがしている穂を摘むことは安息日には禁じられている労働にあたると訴えました。そこで、主イエスは、祭司以外は食べてはならない供えのパンをダビデとその従者たちが食べたことを引き合いにだされました。また、彼らが重視している安息日のための細則は律法の精神に反し人を縛るものであること、そして、安息日は人が喜んで神に仕える日として神により定められたことを、彼らに教えようとされました。

主イエスが言われているとおり、安息日に関する細則は安息日を人のためにお定めになった神の意図に反するものであり、人を苦しめ、縛るものとなっていたのです。

そして、主イエスは彼らに決定打として「人の子は安息日の主である」と宣言されました。これは、ご自身が律法に先立ち、伝統に先立つ、最高権威の持ち主であるとの宣言です。

安息日は、人が自ら進んで喜んで神を礼拝するための日、また、この世の働きを休み、七日の内の一日を主にささげて仕える日です。さらに、安息日は人が主と兄弟姉妹との交わりの中で憩う日でもあります。

【祈り】

主よ、私たちが安息日を正しく知り、この日をあなたにささげることができるようにしてください。

坂部 勇(厚木教会)