神により義とされるとは | ルカによる福音書 18章

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ルカによる福音書 18章

「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 18章13節

神により義とされるとは

対照的な二人を比較したたとえ話が、主イエスによって語られています。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人です。この二人が祈るために神殿に上って行きました。この二人は同じ時刻に同じく神殿で祈りを献げました。

しかし、この二人の祈りの内容は全く異なっていました。ファリサイ派の人の祈りは、自分のことを自慢げに、そして誇らしげにアピールをしているようです。自分で自分のことを正しい人間である、義人であると宣言しています。さらに、彼は自分の横で祈る徴税人を蔑んでいます。

一方で徴税人は、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈っています。彼は「遠くに立って、目を天に上げようともせず」祈っています。徴税人は、自分が神の御前に進み出る資格などない者であることを知っています。さらに彼は、「胸を打ちながら」自らの罪を自覚し、罪を悔い改めて、すべてを神に委ねて祈っています。

私たちはみな罪人です。自分の力や功績では神の御前に出る資格を手に入れることができない者です。たとえどんなに小さな罪でも神からの赦しが必要です。私たちはただ神の憐みにすがるしかない存在なのです。

【祈り】

主よ、罪人のこのわたしを憐れんでください。主よ、わたしの祈りを聞き、悔い改めと信仰とを与えてください。アーメン

坂部 勇(厚木教会)