
小出昌司(高知教会牧師)
メッセージ:舌が犯す罪
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市の「とさでん上町4丁目」電停を南に入ってすぐの公園の裏にある、改革派高知教会牧師の小出昌司です。
聖書の中には、たくさんのたとえ話があります。ヤコブという人は、小さい物が大きな物に影響を発揮することのたとえとして、「船」を持ち出しています(ヤコブ3:4参照)。タンカーのような大きな船でも、方向を変えるのは、水の中に隠れている舵です。そして、その舵の向きを変えるのは、舵輪です。操舵主は、舵輪を操作して舵の向きを変えることによって、船自体を自由自在に操ることができるのです。
わたしたちの言葉を操る舌も同じです。そんな小さな器官である舌からでる言葉が火種となって、ブログが炎上するケースは、インターネットの世界ではよくあることです。そういう仮想空間だけではなく、実際に、自分自身が火だるまになることもしばしばであるのです。
ヤコブは、「舌は小さな器官ですが、大言壮語する」(ヤコブ3:5)と言っていますが、「大言」という言葉は、「自分の力以上の大きなことを言うこと」ですから、親しい人との間では、自分を誇ることに注意を払わなければならないのです。
言葉というものは、元々は人間同士のコミュニケーションを図るためや、神さまを讃えるために備えられているのですが、人間は、神さまを讃美する同じ舌で、他の人を呪ったり、悪く言ったりするのです。
なぜ「同じ口から賛美と呪いが出て来る」(ヤコブ3:10)のでしょうか。この疑問について、ヤコブは、「泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか」(ヤコブ3:11)、「いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか」(ヤコブ3:12)、という問いかけをしています。
このたとえは、「茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(マタイ7:16-17)という、イエスさまのたとえと同じですから、イエス・キリストもヤコブも、人の口から出る言葉はその人の心の表われである、と言っているのです。心に感謝の思いを持っている人の口からは、感謝の言葉しか出て来ませんし、心に不平を持っている人の口からは、不平不満が飛び出すのです。
神さまとの関係が平和であるなら、その人の口からは、平和の讃美しか出てきませんし、良好な関係にない者の口からは、呪いの言葉が飛び出すのです。相手の人に徳を与える言葉というのは、猫なで声の優しい言葉や美辞麗句ではなく、こう言えば相手の人はどう受け取るであろうかと考えながら、相手に配慮した言葉であり、その言葉によって、相手の人も感謝と喜びの心を持つようになる、そのような建徳的な言葉であるのです。
船の舵を操作するのが舵輪であるように、小さな舌をコントロールするのは、その舌の持ち主の心ですから、神さまによって心を清めていただくと、あなたの舌から、他の人を高めたり、喜ばす言葉が出るようになり、お互いの関係が今以上によくなることは、間違いないのです。
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