
豊田真史(南与力町教会牧師)
メッセージ:必要なことはただ一つ
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市にあります南与力町教会の牧師をしております、豊田真史と申します。教会では、今日もあなたの心と体、日々の生活が守られるようお祈りをしております。
さて、今日も聖書のお話から、神様がどのようなお方であるのか、共に考えてみたいと思います。
ルカによる福音書の10章38節以下に、イエス・キリストを家に迎え入れた二人の女性について記されています。「マルタ」と「マリア」という二人の女性です。この二人は姉妹で、二人とも確かにイエスを迎え入れたのですが、しかし、その態度は違っていました。
マルタは、イエスが来たことにより、歓迎するために「いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていた」(ルカ10:40)のです。しかしマリアは、「主の足もとに座って、その話に聞き入って」(ルカ10:39)いました。一方は、お客様が来たことによって、忙しく働いている、しかし一方は、ただそのお客様、つまり、イエスの話にじっと耳を傾けていたのです。
これに当然、マルタは快く思いません。なぜわたしだけがこんなに働いて、苦労しなければならないのかと、不満の思いを抱いたのです。そこでマルタは、イエスに「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようおっしゃってください。」(ルカ10:40)と述べます。
普通の話なら「そうだね、手伝ってあげなさい、マリヤ」となりそうですが、聖書ではそうなりません。イエスの反応は意外でした。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:41-42)イエスは、マリアを説得してくれるどころか、「良い方を選んだ」と言われるのです。なぜ、こんなことが語られたのでしょうか。
わたしたちは、生きていく中で、良かれと思ってしたことが、意図したものと違う結果になるということがあります。最初は純粋に、誰かのためにと思っていたことが、いつの間にか思わぬ結果となることは、誰でも起こりうることではないでしょうか。
ここで、「いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働いていた」と訳されている、「せわしく立ち働く」は、“周囲”という言葉と“引き離す”という言葉からできています。つまり、本来の中心から、色々な用事のために、心が引き離された状態を指しています。
このマルタにも、わたしたちと同じことが起こっていました。確かに、大切なお客様であるイエスをもてなそうという動機は、良いものです。イエスも、そのことは否定されておりません。しかし、大切な中心を忘れてしまっていたのです。忘れていたというより、忙しさの中で引き離され、中心が見えなくなってしまった。周囲のことばかりに目がいくようになってしまう人間の弱さを、聖書は描き出しています。
イエス・キリストは、「必要なことはただ一つだけである」と言われました。それは、神の言葉であるイエス・キリストご自身の言葉に聞くことです。それは確かに、多くの人の目から見るならば、人生の中心にない、周囲にある言葉かもしれません。
けれども、この神の言葉は、わたしたちに永遠の命をもたらしてくれるものです。この世で終わらない、命の御言葉です。この世の希望だけで終わらない、恵み豊かな言葉です。これは、人間にとって、周辺の事柄でも、あるいは、どうでもいいことでもありません。この言葉を聞くことが、人間には本当に必要です。
キリスト教会では毎週、「必要なただ一つのこと」を神様から聞き続けています。あなたもぜひ、キリスト教会においでになり、共に変わることのない、この世の命を超える御言葉を聞いてみませんか。
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