
小出昌司(高知教会牧師)
メッセージ:人は人、私は私
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市の「とさでん上町4丁目」電停を南に入ってすぐの公園の裏にある、改革派高知教会牧師の小出昌司です。
私も含めて人間は、他の人にはあるのに自分にない物にばかりに目が向いてしまって、不平や不満を呟いたり、落ち込んだりすることがあります。このような心の動きは、他の人との比較の中で生まれてきますから、ただ一人で生きている時には感じないことですが、じゃあ比較しなければ起こらないのかというと、そうではないのです。
第一号人間のアダムが、エデンの園で妻のエバと二人だけで生きていた時に、サタンの誘惑によって、「神のように善悪を知ることができる知恵を持ちたい」という欲望が起こされ、それが、禁断の実をとって食べるという罪を引き起こしていますから、人間は、サタンによって欲望の根が心に植え付けられて、その欲望の根が、他人との比較の中で増幅されて、色々な実際的な罪を犯すようになり、時にはそれが大きな罪にまでエスカレートするのですから、欲望こそがあらゆる罪の根っこである、と言って差し支えないのです。
欲望は、不満から生まれますが、私たちはついつい無いものばかりを数え上げて、不満を呟ぶやいてしまいます。あらゆる罪の根っこにある欲望を制御する秘訣は、人間をはなはだ良いものに造っておられる神さまに目を向けることです。
神さまに目を向けると、私のような者にも、命だけではなく、健康や様々な物が与えられていることに気付かされて、感謝と謙遜の心が生まれてきますから、他の人との比較の中で、自分を卑下していた生き方が変えられたり、また反対に、他人に対する優位な思いも打ち砕かれて、高慢という罪が弱められていくのです。
誇るものが何ひとつない人は、一人もいません。神さまは、すべての人間を同じ者に造っているのではありません。人は、それぞれに他の人にはない違った良い物や良い性格を持っていますから、他の人と較べて落ち込む必要はないのです。「人は人、自分は自分」なのです。
もし他の人と違って「私には何も取柄がない」とか、「神さまは不公平だ」、と思うことがあっても、その方は、神さまから与えられている良いものに気が付いていないだけなのです。自分にないものに目を向けて、それを過大視すると、妬みの心が起ってきますが、神さまに目を向けることによって、自分に与えられている物の中に、神さまの恵みを発見することができます。
そして、他の人を羨む心が弱くされて、神さまの恵みの中に生かされている自分を発見することができるのです。必要なことは、「無いもの探し」をするのではなく、「有るもの探し」をすることです。そうすれば必ず、他の人にはなくて、自分にある良いものが見つかります。
自分にある良い物は、自分ではなかなか見つけにくいですが、他の人とのちょっとした会話や、他の人に対する接し方で、その人から「ありがとう」と言われたり、笑顔を返された時、それがあなたが気付いていない、あなたの長所であり、あなたにとって大切な性質なのです。他の人の中に自分より良い物や悪い物を探すのではなく、自分の中に良い物探しをしてください。
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