山下 正雄(ラジオ牧師)
メッセージ:あなたに託されたものは何ですか(マタイによる福音書24:14-30)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
私たちは日々、忙しい毎日を過ごしています。その中で、私たちは実に多くのものを持って生きています。
時間、健康、能力、人との出会い、あるいはこれまで歩んできた経験。しかし、それらを「自分のもの」と考えるか、それとも「託されたもの」と考えるかによって、生き方は大きく変わってきます。
きょう取り上げようとしている聖書の箇所には、「タラントンのたとえ」と呼ばれるイエス・キリストの語られたたとえ話が記されています。このたとえは、まさに「託されたものにどう向き合うか」を私たちに問いかけています。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書25章14節~30節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
このたとえが語られた背景を少し見ておきましょう。マタイによる福音書の24章から25章にかけて、イエスは「終わりの時」について弟子たちに教えておられます。やがて来るその時に備えて、どのように生きるべきかをお語りになりました。その流れの中で語られたのがきょうのたとえ話です。
たとえ話の中で、ある主人が旅に出る前に、しもべたちに自分の財産を預けます。ある者には五タラントン、ある者には二タラントン、そしてある者には一タラントンが与えられました。この「タラントン」というのは当時の大きな金額で、一タラントンでも一生分の賃金に相当するほどでした。つまり、主人はしもべたちに、非常に大きなものを託したということです。
ここで注目すべきことは、主人がそれぞれのしもべに「力に応じて」分け与えたという点です。不公平に見えるかもしれませんが、そうではありません。それぞれのしもべにふさわしい形で委ねられました。
五タラントンを預かったしもべは、それを元手に商売をして、さらに五タラントンをもうけました。二タラントンのしもべも同じようにして、二タラントンを増やしました。どちらのしもべも、すぐに行動に移しています。彼らは、主人の信頼に応えようとしました。
ところが、一タラントンを預かったしもべは違いました。彼は地面に穴を掘り、主人のお金を隠してしまいます。増やすこともせず、ただ失わないようにと保管しました。
やがて主人が帰ってきて、しもべたちと清算を始めます。二人のしもべは、自分たちの儲けをそれぞれ報告します。
ここで大切なのは、五タラントンを増やした者にも、二タラントンを増やした者にも、主人は同じように「良い忠実なしもべ」と呼んでいる点です。つまり、評価の基準は成果の大きさではなく、忠実さにありました。
しかし、一タラントンのしもべはこう言います。
「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。」
この言葉には、このしもべの心が表れています。彼は主人を「厳しい人」「奪う人」として理解していました。そしてその理解が、恐れを生み、何もできなくなってしまいました。
主人はこのしもべに厳しい言葉をかけます。「怠け者の悪い僕だ。」そして、そのタラントンは取り上げられ、外の暗闇へと追い出されてしまいます。
このたとえが私たちに語りかけているのは何でしょうか。
まず、私たちもまた、何かを託されているということです。それは特別な人だけの話ではありません。すべての人が、それぞれに応じて、何かを委ねられています。能力、時間、環境、出会い、そして何よりも福音そのものが、私たちに与えられています。
そして問われているのは、「どれだけ持っているか」ではありません。「委ねてくださった主人のために、それをどう用いているか」それがが問題です。タラントンの違いを比べる必要はありません。それぞれに託されたものに対して、どう応答しているかが問われています。
また、このたとえは「恐れ」に支配された生き方についても警告しています。一タラントンのしもべは、「失いたくない」「失敗したくない」という思いから、何もしませんでした。一見すると慎重で安全な選択のようにも思えます。しかし、それは主人の信頼に応える生き方ではありませんでした。
私たちも同じように、「自分にはたいしたものがない」「やっても無駄ではないか」「失敗したらどうしよう」と考えて、一歩を踏み出せないことがあります。しかし神は、結果の大きさよりも、信頼して踏み出すことを喜ばれるお方です。
さらに重要なのは、私たちが神をどのように理解しているかという点です。一タラントンのしもべは、主人を誤解していました。その誤った理解が、そのしもべの行動を縛っていました。
神はただ奪うだけの厳しい方ではありません。惜しみなく与え、信頼して委ねてくださる方です。その神をどう見るかによって、私たちの生き方は大きく変わっていきます。
このたとえの最後には、厳しい結末が描かれています。しかしそれは、私たちを脅すためではなく、目を覚まさせるための言葉です。私たちは皆、何かを託されている存在です。それを地に埋めてしまうのか、それとも用いていくのかが問われています。
やがて主は来られます。その時に問われるのは、「どれだけ持っていたか」ではなく、委ねてくださったお方の願いに沿って「どのように生きたか」です。
あなたに託されているものが何であったとしても、神の御心を汲み取って、それを忠実に用いることが大切なのです。









