3月12日(木) ヨブ7章
わたしを見ている目は、やがてわたしを見失い、
あなたが目を注がれても
わたしはもういないでしょう。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨブ記 7章8節
苦しんでいるヨブを見て、神も苦しんでおられるのではないでしょうか。神は憐れみの主だからです。
ヨブには神の眼差しが、憐れみと慈しみに富むとは思えなくなっています。このような経験は、私たちにもあるかもしれません。神は義なるお方ですが、私たちには罪があるからです。義なる神に見られるなら、私たちは恥じ入るばかりです。
キリストに結び合わされた私たちは、神の目を意識します。自分の歩みが御心にかなっているかを思います。日々の歩みを思えば、義なる神の眼差しを恐れることがあります。神の義しさに耐えうるほどの義が、私たちにはないからです。ヨブもまた、神が自分を見張っておられると、半ば神の恵みを疑いつつあります。
神はヨブを御心に留めておられます。その眼差しは、ヨブが期待していたように、憐れみと慈しみに富む眼差しです。しかし、苦難の大きさに、神の憐れみが見えません。そんなヨブを、神は見守っておられます。苦しむヨブと共におられます。神もヨブの苦しみに向き合っておられます。
神はわたしの生涯を、いつも慈しみの目で見ておられます。神は私たちを見放すことも、突き放すこともされません。罪ある者にも神の眼差しは温かいからです。
【祈り】
主よ、あなたが慈しみをもって見守っておられるのを忘れることがありませんように。アーメン









