3月6日(木) イザヤ58章1-14節
飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝き出で
あなたを包む闇は、真昼のようになる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書58章10節
主のご受難を覚える季節のなかで、教会は一つ、「断食」をその習慣としてきました。その目的を、御言葉はどのように教えてくれるでしょうか。
ヨエル書は告げています。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け」(2章12、13節)。断食は罪を泣き悲しむことの発露としてなされます。何かを食べないことに力点があるのではありません。自分の・自分たちの罪を悲しむことです。悲嘆に暮れるとき、喉は食べ物を通さなくなります。悲しむことです。泣くことです。泣かずにはおれない。そこで、神は悲しむ者に慰めを与えてくださる、神を新しく愛し始めることをおゆるしくださる、その時を待つことに力点があります。
イザヤ書には「わたしの選ぶ断食とはこれではないか」と、「飢えた人にあなたのパンを裂き与え…、同胞に助けを惜しまないこと」が教えられています(58章6、7節)。隣人愛の発露としての断食です。パンを食べないのは隣人が食べるため、与えられた愛は共に生きる人と分かちあうため。そのような断食は主イエスのご生涯を映し出してもいます。
私たちの断食がどのような形をとるにせよ、いつも主のご生涯を思い起こすものとしてなされますように。
【祈り】
主よ、この季節に私たちのなすすべてのことが十字架を思い起こすことに連なるようにお導きください。