
豊田真史(南与力町教会牧師)
メッセージ:イエスのまなざし
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市にあります南与力町教会の牧師をしております、豊田真史と申します。教会では、今日も皆様の心と体、日々の生活が守られるようお祈りをしております。
さて、今日も聖書のお話から、神様がどのようなお方であるのか、共に考えてみたいと思います。
ルカ福音書19章に「ザアカイ」という人が登場する箇所を、今日は取り上げたいと思います。2節のところで、「徴税人の頭で、金持ちであった」(ルカ19:2)とあります。「徴税人」というのは、税金を集める人のことです。
しかし、今の税金を集める人とは訳が違います。実は、国からこれだけ集めなさいと言われていた金額から割増して、税金を集めていたのです。それを自分たちの懐に入れていた。だから、この人はお金持ちだったのです。しかし、それを市民が知らないわけはありません。彼らが不正をしているというのをよく知っていました。それゆえ、この徴税人という人たちは、嫌われていました。
そういう徴税人の頭であるザアカイのいる街に、イエスという、このあたり一体で噂になっている人がきたのです。このザアカイという人は、イエスを見たいと思いました。それで、大勢の群衆が集まる中でイエスを見ようとします。けれども、このザアカイと言う人は、「背が低かったので、群衆に遮られて」(ルカ19:3)見ることができません。背が小さく、また、人々からも嫌われていたので、前に行くことはできませんでした。
けれども、このザアカイという人は諦めません。イエスと言う人に会ってみたい、と強く思ったのです。それで、身軽さを活かして、イエスより先回りして、「いちじく桑」という木の上に登って、イエスを見ようとしたのです。そこに、イエスがやってきます。あろうことか、このイエスというお方は、ザアカイに話しかけたのです。「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』」(ルカ19:5)、そう言われたのです。
「泊まる」というのは、とても親密な関係、深い友情関係を表します。皆から、罪人だ、悪人だ、と言われているザアカイでしたが、イエス・キリストというお方は、人々と全く違う見方をしていました。泊まりたいというほどに、イエス・キリストというお方は、ザアカイを大切にされました。
今日の聖書の箇所は、私たちに、「神様の目線」について教えています。今日の箇所では、何回も「見る」ということが記されています。人々から、ザアカイは嫌われていました。あいつは罪人だ、まして神から愛されているなどありえない、そう思われていたことでしょう。また、ザアカイ自身も、自分をそういう目線で見ていたでしょう。自分は全然大切な存在じゃない、人々からも嫌われている、それじゃあできるだけお金を稼いで、とにかく、今だけでもいい思いをしておこうと、いつも後ろめたさを覚えていたかもしれません。
けれども、神であられるイエス・キリストの目は、ザアカイ自身の自分に対する目、人々の目とは違いました。イエスが見上げて語られたのは、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」です。この言葉は、「泊まることになっている」という、神様の必然性を表す表現が使われています。人々からは、罪深く、価値のないような人、また、自分でも価値がないと思っているザアカイに、あなたの家に泊まることになっている、あなたは愛されるべき存在だ、とイエスは仰いました。ここに、聖書の福音があります。
聖書に記された神様というお方は、外見や人々の評価、学歴、職業、そういうところで人を見られません。一人一人、大切な存在として、神は、今日もわたしたちを見つめて下さっています。そしてその時、ザアカイも、前のような自分のままでいるわけにはいきません。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(ルカ19:8)
このザアカイに向けられたイエス・キリストの愛の目線が、今日もわたしたちに向けられています。
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