あさのことば

イエスをいただく

放送日
2018年1月12日(金)
お話し
杉山昌樹(新座志木教会牧師)

杉山昌樹(新座志木教会牧師)

メッセージ: イエスをいただく

 いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
 主イエスは、ある時、ご自身がパンなのだといわれました。そればかりではなく、そのパンというのは自分の肉だ、ともいわれ、また、ご自分の「肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに命はない。」と言われました(ヨハネ6:53参照)。そして多くの人が、この話を聞いて「なんとひどい話だろう。」と言って、主イエスのもとを去っていきました。それはまるで、人肉食を思わせ、そしてまた、実際にあり得ないことを語っているように聞こえたからです。

 私たちにしましても、人間の血はもちろん、動物の血であっても、飲みたいとは思いませんし、まして、人肉を食べるなどということは思いもつきません。もちろん、主イエスもまた、実際的な意味で、ご自身の、肉を食べ、血を飲め、と言われたわけではありません。そうしますと、この言葉について、額面通りに聞いてしまって「なんてひどいことを」と言って怒るのはそもそも、聞き方が間違っているということになります。

 では私たちはこの言葉をどのように聞くことが出来るでしょうか。教会では、この言葉を聖餐のぶどう酒とパンと結びつけて理解します。しかし、その場合でも最も大切なことは、そこで何が起きるか、です。

 主イエスが言われたもう一つの言葉を確かめます。それは私たちがパンとぶどう酒として主イエスを食べるなら、主イエスが私たちの中に、また、主イエスの中に私たちが、お互いがお互いの内にいるようになる、という言葉です。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)

全ての番組からランダムに
  1. ヨハネ12章1-8節 主イエスに感謝の礼拝をささげよう

  2. イザヤ58章 礼拝と正義

  3. エステル3章 ひざまずかず、敬礼しない

  4. 私が流す涙を知っておられる

  5. 祈り(イザヤ40:28-29)

  6. 救い主についての最初の預言

  7. ホセア11章 苦悩される神の愛

  8. 哲学とキリスト教

  9. 祈り(詩編16:1-2)

  10. ローマ7章 わたしはなんと惨めな人間