キリストへの時間

「板ばさみの苦悩」

放送日
2005年6月12日
お話し
山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「板ばさみの苦悩」

 おはようございます。山下正雄です。

 指導者の苦しみと言うのは、指導者だけにしかわからないものです。できれば、そのような苦しみは避けて通りたいと思うのが人間です。もちろん、国家の指導者には誰もがなるわけではありませんから、その苦しみのことで自分の身を案じる必要もないかもしれません。もっとも、小さな指導者としてリーダーシップを発揮しなければならないことは、誰にでも訪れる可能性はあります。家族を持てば、父親として、母親として、リーダーシップの発揮が求められます。何かの会で中心的な役割を負わされると言うこともあるでしょう。そのとき、いつも自分の期待通りにことが運べば、リーダーもやりがいのある仕事です。しかし、大抵の場合はそう思い通りには行かないものです。リーダーとしてどう対応したらよいのか苦悩する場面に立たされることがしばしばです。

 旧約聖書に登場するモーセは神によって立てられた指導者でした。しかし、決して何もかもが有利に運んだわけではありませんでした。いえ、指導者として遣わされるときに、神ご自身が、前途に待ち受ける困難を予告していたのです。

 モーセに与えられた使命は、イスラエル民族を代表して、エジプト王と交渉するというものでした。その交渉の内容とは、奴隷のように働かされていたイスラエル民族をその労働から解放して、たった三日の道のりを荒れ野に行かせ、神を礼拝する機会を与えて欲しいと言うものでした。

 もちろん、エジプトの王様がおいそれと首を縦に振るわけはありません。エジプトの王の立場に立ってものを考えればそれも道理でしょう。なぜなら、今まで誰一人としてそんなことを言い出した人はいなかったのです。不満が鬱積して今にも暴動が起こりそうだと言うのでもないのです。今の状況を変えなければならない必然的な理由など、どこにも見出せないと言うのがエジプト王の言い分でしょう。エジプトの王はモーセの願いを受け入れるどころか、今までにもましてきつい労働をイスラエルの人々に課したのでした。

 本来ならば奴隷の苦しみからの解放者としてイスラエルの人々から喜んで迎え入れられるはずのモーセです。しかし事態は悪い方へしか進んでいきません。解放するどころか余計民を窮地に追いやる結果となってしまったのです。苦しみのうちにある人々から不満の声があがります。モーセは一方ではエジプトの王様からは反逆者の目でにらまれ、他方では同胞のイスラエルの人々から余計なお節介を焼く迷惑千万な人とみなされてしまったのです。板ばさみで立つ瀬がないとはこのことでしょう。

 元はといえば、モーセは神の命令に忠実に従ったまでのことです。それでは自分がこんな目に遭ったことでモーセは神を恨んだでしょうか。いいえ、モーセは真剣に神と向き合ったのです。

 「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。」

 自分の予想に反する結果になったとき、リーダーとしてどうしてよいか当惑してしまうことは多々あることでしょう。自分がなぜリーダーとして立てられたのか、分からなくなってしまうこともあることでしょう。このときのモーセもきっとそうだったに違いありません。しかし、モーセは決して引き受けた役目を放棄してしまおうとしたのではありません。率直に、また、真剣に神と向き合ったのです。務めを投げ出すことは簡単です。またがむしゃらに突き進むことも簡単です。しかし、神と真剣に向き合うこと、それがどんなリーダーにも大切なことなのです。

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