聖書はなぜ必要なのか | 歴代誌下 34-35章

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歴代誌下 34-35章

王は自分の場所に立って主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守…ることを誓った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 歴代誌下 34章31節

聖書はなぜ必要なのか

34、35章は、南ユダ王国の中でヒゼキヤ王と同様に礼拝改革を行った王として知られるヨシヤ王の統治の記事です。

ヨシヤ王の礼拝改革は、偶像の一掃、神殿の修復、祭儀の再開など、ヒゼキヤの改革と似ていますが、その中で目を引くのは神殿修復工事の際に律法の書が発見されたことです。

ヨシヤ王は、この律法の書の言葉を聞き、衣を裂くほど悲しみと恐れを感じました。どれだけ自分たちが神の律法から離れて勝手に生きてきたのかを悟ったからです。そして、ヨシヤ王は、この律法の書を基にして礼拝改革を行いました。

聖書は、私たちに神の御心がどこにあるのかを教えています。信仰者は、何が信仰者としての生き方であり、何が神に喜ばれることかを、聖書を通して確認することができます。聖書は最も客観的に神の御旨を知ることのできる神の言葉です。

私たちは今、自分たちの言葉で聖書を読むことができます。そして、参考になるような本を手にすることもできます。そのような環境の中で神の御旨を知ることができることを感謝し、より聖書の御言葉に親しく生きることができるように励みたいと思います。

【祈り】

いつも聖書の御言葉に親しみ、神の御旨がどこにあるのか知ることができますようにお祈りします。

申 成日(広島教会)