罪赦された人こそが幸いな者 | 詩編 32編

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詩編 32編

いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 32編1節~2節

罪赦された人こそが幸いな者

あなたの周りには、「主に信頼する者」(10節)や「神に従う人」、「心の正しい人」(11節)はいるでしょうか。このような人びとは、あたかも罪とは無縁の歩みをしているように見えるかもしれません。若いころのわたしは、神から責められる点のない完璧な信仰者こそ幸いで、自らもそうありたいと願っていました。しかし、この詩編が語る幸いな人とは、背きがない人ではなく、それを赦され罪を覆っていただいた者です。

誰もが罪から離れて歩む者でありたいと願います。それゆえ、誰かと比べながら、自分の罪はそれほどではないと思おうとします。しかし、主イエスを除いて、主の御前に正しい者はいません(詩14編3節など)。誰もが例外なく、神を愛さず背き続ける罪人です。それを認めて自らの罪を真摯に告白する人こそ、心に欺きのない人であり心の正しい人です。その人の罪を、神はキリストの十字架のゆえに赦してくださいます。

この赦しの愛に駆り立てられて、人は主に信頼し、神に従うのです。結局のところ、神に従う正しい信仰者とは、多く罪赦された人です。そして主を信じるあなたもまた例外なく、神に多くの罪を赦された幸いな者なのです。神はその幸いな者に、喜びの声をあげさせてくださいます。

【祈り】

あなたと隣人を愛しえないわたしの罪を告白します。わたしの罪を赦してくださる主の愛に感謝します。

三輪 誠(浜松伝道所)