神は心の向きを変えられた | ホセア書 11章

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ホセア書 11章

ああ、エフライムよ
お前を見捨てることができようか。

わたしは激しく心を動かされ
憐れみに胸を焼かれる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 11章8節

神は心の向きを変えられた

ホセア書は、罪を犯し続けるイスラエルに対する神の裁きを語ってきました。しかし、ここで主は、「エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか」と自問しておられます。主ご自身の心の中で戦いがあります。罪に対する怒りと、憐れみとの葛藤です。そして憐れみが打ち勝ちます。8節の「わたしは激しく心を動かされ」は、「わたしの心は向きを変えた」という意味です。決定的な裁きが不可避の状態になっていました。そのぎりぎりの所で、神の側が心の向きを変えられました。

神はイスラエルの民を愛してきました。愛をもって叱責し、導こうとされました。しかし、イスラエルは変わりませんでした。そこで、「お前を見捨てることができようか」と憐れみの心に胸を焼かれる神は、惨めなイスラエルをも「再び滅ぼすことはしない」と決意されます(9節)。イスラエルの回心を待ってもらちがあきません。そこで、心を動かされる神の側が考えを変えられました。それが、ここに描かれている神の愛です。

イエス・キリストによって私たちに注がれている愛が、まさにその愛です。神は、罪の奴隷であった者たちを救うために御子を送られました。ここに愛があります。

【祈り】

主なる神よ。あなたが罪人の私たちを見捨てず、救いへと心の向きを変えてくださったことに感謝します。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)