主が望まれる純粋な礼拝 | ホセア書 9章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ホセア書 9章

イスラエルよ、喜び祝うな。
…喜び躍るな。お前は自分の神を離れて姦淫し
どこの麦打ち場においても
姦淫の報酬を慕い求めた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 9章1節

主が望まれる純粋な礼拝

イスラエルには三大祭があり、その際には、多くの人々が全土から聖所のある町に集まってきました。その集まった人たちに向かって、ホセアは語りかけました。「イスラエルよ、喜び祝うな。諸国の民のように、喜び躍るな。お前は自分の神を離れて姦淫し、どこの麦打ち場においても、姦淫の報酬を慕い求めた」。

祭りを喜んでいるイスラエルの民に向かって、ホセアは「喜び祝うな。喜び躍るな」と語りました。なぜ喜んではいけないのでしょうか。それはイスラエルが「自分の神を離れて姦淫し、どこの麦打ち場においても、姦淫の報酬を慕い求め」ていたからです。つまり、その祭りは、主が望まれるような純粋な祭りではありませんでした。「自分の神を離れて姦淫し」とあるように、異教的な礼拝の形が混在していました。「麦打ち場」とはバアルの祭儀でよく用いられた場所です。バアル礼拝では淫らなことが行われましたが、主の祭りでも行われるようになっていました。

主への礼拝とバアル礼拝が混在していました。異教的要素が入り込んでも、主への礼拝が行われていればそれで良い、と主は言われません。

信仰の熱心が、主を愛し、主の御言葉を聞く純粋な礼拝として現れることを、主は望んでおられます。

【祈り】

主なる神よ。御言葉に従った、純粋で熱心な礼拝をささげる者たちとならせてください。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)