主が喜ばれる愛と真実を伴う礼拝 | ホセア書 6章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ホセア書 6章

わたしが喜ぶのは
愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
焼き尽くす献げ物ではない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 6章6節

主が喜ばれる愛と真実を伴う礼拝

6節に、神が私たちに求めておられるものが何であるかが端的に記されています。神が喜ばれるのは「神への愛」と「神を知ること」です。神を知るとは、知識として知ることではありません。神との関係に生きることです。神が求められるのは、契約の民としての神への真実だと言えます。

それがなければ、どんなに動物のいけにえをささげても、神は喜ばれません。神が私たちに求めておられるのは、神への真っすぐな愛と全き献身であって、いけにえではありません。愛を伴わない儀式や信心深い装いによって、神を満足させることはできません。

犠牲をささげるなどの宗教的祭儀は、本来、神と出会うために与えられた恵みの手段でした。それが、本来の意味を忘れ、神への真実とかけ離れてしまえば、祭儀に対するどんな熱心も神を喜ばすことはありません。むしろ、神に悲しみと怒りとをもたらしてしまうことになります。

私たちに第一に求められているのは、生ける神に対する真実です。生ける神を愛をもって知ることです。その神の御前に、真実に生きることです。神が喜んでくださるのは、神への愛と真実を伴う礼拝です。そのような礼拝へと、神は私たちを招いておられます。

【祈り】

主なる神よ。あなたが喜ばれる、生ける神に対する真実な礼拝をささげる者たちとならせてください。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)