いつも神の御前に生きる | ホセア書 5章

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ホセア書 5章

イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢だ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 5章5節

いつも神の御前に生きる

イスラエルの民は「淫行の霊」に支配されていました(4節)。その霊と一体なのが高慢さです。5節に、「イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢だ」とあります。高慢とは、神を知らず、自分を正しいと考えることです。神の前に自分を省みて、自らの罪と欠けを嘆くのではなく、自分をよしとし、自分を正当化することです。

ホセアが活動を始めたヤロブアム二世の時代は、繁栄の時代でした。社会が繁栄するとき、人びともまた高ぶるようになります。社会の繁栄と高揚感の中で、神の民もまた驕り高ぶり、自分を見失っていきました。罪が見えなくなり、高慢に陥りました。

しかし、高慢な者は、5節後半にあるように、いずれつまずきます。高慢さが結局、自らをつまずかせることになります。

神の民も時代と共に生きる者ですが、時代精神に支配されてはなりません。経済成長と共に、教会の成長を期待して高揚感に満たされ、逆に、社会が閉塞感に覆われると、教会もまた閉塞感に覆われるようになる。それではいけません。私たちはいつも、時代を見つめて責任を負いながら生きますが、時代精神に支配されてはなりません。常にすべてを支配しておられるお方を見上げて、その方の御前に生きるのが神の民の責任です。

【祈り】

主なる神よ。どんな時代であっても、神の御前に責任を負って生きる者とならせてください。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)