ホセア書 1章
主はホセアに言われた。
「行け、淫行の女をめとり
淫行による子らを受け入れよ。
この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 1章2節
生きた言葉で神を伝える
袴田 康裕(神戸改革派神学校)
主はホセアに言われた。
「行け、淫行の女をめとり
淫行による子らを受け入れよ。
この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 1章2節
袴田 康裕(神戸改革派神学校)
2023年8月の聖書日課をまとめて表示します。
「ホセア書」の聖書日課をまとめて表示します。
袴田 康裕が担当した聖書日課をまとめて表示します。
「淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」。これがホセアに対する主の命令でした。その行為を通して、主から離れて淫行にふけっているイスラエルに神のメッセージを伝えるのです。ホセアは、自らの結婚生活を象徴的行為とすることが求められました。それゆえ、ホセアには、職務と家庭の区別がありませんでした。神が、御自身の民のゆえに味わわれた苦悩を、自らのものとして抱えて苦しむのです。そうして、ホセアは自らの苦悩を通して、神の御心を伝えていくことになります。
神がホセアに求められたように、神の言葉は、それを語る者の生き様や生活と無関係に語れるものではありません。切り離して語ることを、神は許されません。
このことは、牧師・伝道者だけに当てはまることではありません。キリスト者はすべて、神によって立てられた福音の証人です。そして福音は、語る者の生き様や生活と切り離されません。成功物語を伝えることが伝道ではありません。むしろ、神に従うがゆえの苦悩の中で、語るべき言葉が与えられていきます。
キリスト者こそが、現代の預言者です。私たちは改めて、自らの信仰のあり方、生活のあり方を問うことが求められています。
【祈り】
主なる神よ。自分の生き様と結びついた言葉を通して、キリストを伝える者とならせてください。