人の弱さを超える主の憐れみ | 創世記 20章

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創世記 20章

アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 20章17節

人の弱さを超える主の憐れみ

寄留者としてカナンの地に滞在していたアブラハムは、土地の人々を恐れて、「どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか」と妻のサラに頼んでいました(13節)。それが身を守る手段と考えていたのでしょう。結果として、大切な妻を、滞在したゲラルで王アビメレクに差し出してしまいました。1年後に自分の息子を産むと約束されていた主の約束(18章10節)を台無しにする行為です。

そこで主が介入されます。アビメレクとその妻、侍女たちは、性病の類にかかったのかもしれません。性的な関係を持てなくなった様子です。それは、アビメレクがサラに触れないために、主がなさったことでした(6節)。アビメレクに対して、夢の中で死を宣告します(3節)。彼は「あなたは正しい者でも殺されるのですか」と訴えます。滅ぼされたソドムの人びとと違い、彼は正しい人でした。アブラハムは殺されると思う必要などなかったのです。主は、サラを返し、アブラハムに祈ってもらうなら命が救われると告げます。

アブラハムの恐怖心が、この問題を引き起こしました。それでもなお、主は彼との約束が失われないように守り、アビメレクのために執り成して祈る者として彼を用いられます。

【祈り】

主よ、私たちに弱さがあっても、救いの約束を維持し、執り成す者として用いてくださることを感謝します。

大西 良嗣(宝塚教会)