わたしの神はどこまでも憐れみ深い神 | 詩編 9編

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詩編 9編

虐げられている人に
主が砦の塔となってくださるように
苦難の時の砦の塔となってくださるように。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 9章10編

わたしの神はどこまでも憐れみ深い神

神を第一としない者がふくれあがっています。神を信じていなくても、案外不自由なく事が運ばれていきます。それどころか、主を信じる人が心を責められ、落ち着き無く過ごすのです。「主よいつまでですか」の叫びは、主の助けを待ち焦がれる人の叫びです。主を信じる人にとって、この世の有り様は真実とは思われないのです。

しかし、それでも信仰者の第一声は主への感謝です(2節)。神を信じることは、感謝に始まります。そして自分の有り様を嘆くよりは、隣人へと思いが向くのです。私が隣人へと心を向けるとするなら、なおさら、私たちの主が隣人のことをお忘れになるはずがありません。神は必ず、弱った手を強くしてくださるに違いないのです。

しかし、ここに至って、主を求めることなく弱くされている人をも、神が顧みてくださるのだろうかと考えてしまいます。神は、主を知らず、迷いの中にある人の救いを願っておられると信じて良いのでしょうか。

神は、主を知らずにさまよう人を憐れんでくださいます。神は、弱くされている人を顧みてくださるに違いありません。神はどこまでも、打ちひしがれている魂を支えてくださる憐れみの神だからです。

【祈り】

神よ、あなたのことを知らずに苦しんでいる人にも、憐れみを注いでください。アーメン

後登 雅博(高蔵寺教会)