夜ごと求めて探してでもきっと | 雅歌 3-6章

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雅歌 3-6章

夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても
求めても、見つかりません。
起き出して町をめぐり
通りや広場をめぐって
恋い慕う人を求めよう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 雅歌 3章1節~2節

夜ごと求めて探してでもきっと

幾つの夜を越えてゆけば、恋しい人は再び来てくれるだろう。おとめの焦がれる思いに祈りを合わせます。

過去の甘美な記憶は、あの人が今いないという辛さを突きつけもします。待つことは痛く苦しいことでもありました。疲れ果て、床に伏し、気づけば夢の世界に落ちてゆく、そんな夜がありました。そこでようやく恋しい人を見つけられます。「もう離しません」と夢の中のおとめは悲しいほど大胆にその愛を表すことができます(3章4節)。「愛する者よ、愛に酔え」という招きに素直に応えることもできます。けれども、人は夢の中に留まり続けることはできません。いつか目覚めなければいけない。歓喜の中で意識を覚醒させてゆくおとめは家の戸を叩く音に気づくのでした(5章2節)。それが新たな夢であるのか現であるのか。見極めることができないままに、おとめはやっぱり臆病になって、ためらい、そうしているうち、恋しい人は去ってしまいます(同6節)。それから、また、「わたしは恋しいあの人のもの」という言葉だけを胸に、長い夜を越えてゆくのです(6章3節)。

私たちの日々にも、主を見つけられない、そんな夜があります。そんな夜があってもいいことを、私たちは朝が来た時にきっと教えられます。

【祈り】

主よ、あなたを求めて、探して、見つけられなくて、でも今もきっと共にいてくださることを信じています。

柏木 貴志(岡山教会)