聖なる、聖なる、聖なる | 詩編 99編

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詩編 99編

我らの神、主をあがめよ。
その聖なる山に向かってひれ伏せ。
我らの神、主は聖なる方。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 99編9節

聖なる、聖なる、聖なる

「主は聖なる方」であると繰り返し告白されます(3、5、9節)。神が「聖」であるとは、神があらゆる被造物から区別され、超越しているお方だという意味です。「すべての民の上に高くいます」(2節)という表現もまさに「雲の上の存在」、私たちとは遠く離れた所にいるお方だという印象を与えます。

「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできない」(出33章20節)と言われる「聖なる」神の前に、罪人は畏れを覚え、近寄り難さを覚えます。

しかし、聖書の神はその聖さにもかかわらず、堕落した世界から遠く離れて住むことを選ばれませんでした。むしろ罪に汚れたご自分の民の只中に住むことを決意されたのです。罪人たちと共に食卓を囲み、「わたしが来たのは罪人を招くためだ」とおっしゃった主イエスのお姿に、すべてを超越しておられながら、同時に私たちと共にいてくださる神のお姿が示されています。畏れるべきお方、しかし同時に親しく歩んでくださるお方こそ、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」なのです(イザ6章3節)。

小橋口 貴人(那加教会)