マタイによる福音書 5章9節
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章9節
「平和」の意味
木下 裕也(岐阜加納教会)
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章9節
木下 裕也(岐阜加納教会)
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「平和を実現する人々は、幸いである」。そう仰せになるとき、主イエスは旧約聖書で「平和」という言葉(ヘブライ語「シャローム」)が持っていた意味をそのまま受け継いでおられます。平和。それは単なる表側だけの平穏、波風の立たないように見える状態ではありません。人々がただ穏やかに生きているということではなく、人々の間に愛と真実、正義と思いやりの関係が成り立っている、確立されているということです。
「平和」はきわめて積極的な意味を表す言葉です。神がご自身の御子を与えて、私たちとの間に平和を実現してくださいました。罪の赦しと和解の恵みを与えてくださったのです。それゆえ、そこに生きる者たちが隔ての壁を克服し、争いを解決し、愛を育み、思いやりを育て、お互いに責任をもって命のかよった交わりを築き上げる、それが平和にほかなりません。
主イエスは、平和を実現する人々を幸いな人と呼ばれ、そのような人々こそが神の子と呼ばれると仰せになります。みずから平和をなしとげようと労し、励む者たち。そのような者たちこそが神の国の世継ぎとされるのです。