主の山に登る | イザヤ書 2章1-5節

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イザヤ書 2章1-5節

多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 2章3節

主の山に登る

地の上に平和を実現されるのは主なる神です。しかし、私たち人間は手をこまねいているというのではありません。主イエスが「平和を実現する人々は、幸いである」と仰せになるように(マタ6章9節)、私たちも神の器として用いられます。私たちが用いられてこそ、地の上に平和が実現するのです。

それでは、どのようにして神の器とされるのでしょうか。御言葉に聞くことによってです。平和について教え示すのは神だからです。「主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る」。それゆえ、主の民は「主の山に登り、ヤコブの神の家に行」きます。

「主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」。主の山に登り、主の御言葉に耳を傾けた者たちは、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」のです(4節)。御言葉に聞き従って、平和の実現に身をもって仕えます。

この世も平和について語ります。政治家や学者たちも平和について論じます。しかし、私たちは何よりもまず御言葉を学び、御言葉に立ちます。十字架のキリストが平和の土台であるからです。

木下 裕也(岐阜加納教会)