良きキリスト教会にあるサイン | コリントの信徒への手紙二 3章

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コリントの信徒への手紙二 3章

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 3章18節

良きキリスト教会にあるサイン

有名な飲食店に行くと、時々、著名人のサインを見つけます。それは、この店は美味しい店だということのしるしのようなものです。では、教会にはどんなしるしがあるのでしょうか。

パウロは、教会に集いつつ歩む私たち信仰者の存在そのものが、ここにキリストが宿っておられ、救いが存在するということを示すしるしであると語っています。

「静かに川辺を歩いていると、自分の罪深さに対する憂いで泣けてくる」と語っていた牧師がいましたが、私たちの存在そのものを醒めた目で顧みるとき、キリストの救いを知っていながらも、実際には罪と離れることができずにあえいでいる自分がいます。「覆い」という言葉が頻出するこの章ですが、まさにアダムが神から隠れたように、覆い隠さなければならない自分の姿があります。けれども、その罪との葛藤を繰り返しながら生きる私たちを、主の霊がキリストの姿へと造り変えてくださいます。

実にキリストによって赦され、覆いを取り除かれて、きょうを自由に歩む私たちそのものが、教会の良きしるし、その輝きなのです。

吉岡 契典(神戸改革派神学校)