誇るべき冠 | テサロニケの信徒への手紙一 2章

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テサロニケの信徒への手紙一 2章

わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テサロニケの信徒への手紙一 2章19節~20節

誇るべき冠

パウロとテサロニケの教会の人びとの関係は、主にある兄弟姉妹としての関係でした。それは、決して一方的なものでも、上下関係によるものでもありません。彼らは、互いのことを自分のことのように思いやり、祈り、愛し、また必要な助けの手を差し伸べています。それは主イエス・キリストの愛のゆえです。

そのような愛の関係にあるからこそ、パウロは彼らを「わたしたちの希望、喜び、誇るべき冠」、「わたしたちの誉れであり、喜び」と言います。

ここから、福音の宣教とは何か、それはどのようにしてなされるのかを私たちは教えられます。福音の宣教は、決して人間の力でするものではありません。一人ひとりを救いへと選ばれ、導かれるのは神ご自身です。私たちはあくまでもその神に仕える僕として、神の御心に従って福音を宣べ伝えます。福音は、愛によって伝えられます。ただ言葉によってだけ伝えられるのではありません。

キリストは再臨のとき、私たちのそのような信仰における愛の姿勢をこそご覧になります。私たちも互いに愛し合いながら、福音の宣教を続けることができますように。

松田 基教(多治見教会)