罪が何かを知って、次にすること | 詩編 51編

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詩編 51編

あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 51編5節~6節

罪が何かを知って、次にすること

詩編51編には、詩人が、神の御前に罪を犯した後、それを指摘され罪を自覚し、「わたしは主に罪を犯した」と告白した上で、なお、神の憐れみにすがって祈っている姿が描かれています(サム下12章13節)。詩人は、自分の中の罪の根源を直視したからこそ、その罪を自分の力で支配して拭い去ることは難しいと弁え知りました。ですから、「罪は常に(いつも、いつまでも)わたしの前に置かれています」と言ったのです。罪を覆って隠し、見えないところに押しやっても、罪がなくなるわけではありません。それどころか、いつの間にか罪は、人を支配しようと近づきます。しかし、その罪の覆いを取り、自分の前において正視し、罪の汚れを神の視点をもってはっきりと知り、それに翻弄される自分自身を神に告白する。そのとき、神は憐れみによって、悔い改める者を顧みてくださいます。神は、魂を打ち砕かれた者をそのままにされず、罪を心から憎み、捨て去る決心を促してくださるのです。

信仰ゆえに罪に苦しみ泣く者をただ眺めておられる神ではありません。信じて祈るなら、罪を捨て去る力も必ず与えられるに違いありません。

小川 洋(高松教会)