一つの群れとなるために | コリントの信徒への手紙二 2章

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コリントの信徒への手紙二 2章

むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。…そうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 2章7節~11節

一つの群れとなるために

戒規の後、本人の悔い改めが示されたとき、神の家族はどうあるべきでしょうか。

罪の裁きのために用いられた教会会議は、悔い改めた人に対しては、「キリストの前で」(2章10節)、真に赦し、受け入れます。

「キリストによって赦されない罪はなく、癒されない傷もない」(70周年記念宣言)のです。悔い改めが確かなら、今度は、本人が立ち上がるための最善の配慮が教会には求められます。パウロは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけ、愛を確認するようにと勧めます。

教会は罪の赦しの恵みを共に喜び分かち合う神の家族です。このような時こそ、自分も罪赦された者であることを自覚し、赦しの共同体に生きる者として、心から兄弟を受け入れなければなりません。

人を責め、裁くことが得意な私たちです。赦すことが難しい私たちです。キリスト者同士を互いに敵対させ、教会を分裂させようとするのがサタンのやり口です。教会はこれに乗ってはなりません。

赦し合い、愛し合う一つの群れとなれるよう、聖霊の助けをいただけますように。

漆崎 英之(金沢伝道所)