
新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:契約と信仰~詩編8編から~
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一です。
昨日は、詩編8編から、「月も、星も、あなたが配置なさったもの」(詩編8:4)、すなわち、天体のすべてが神の被造物に過ぎない、という聖書の信仰のスケールを確認しました。
さてその上で、聖書の言葉は、その偉大な神様と私たち人間との関係を次のように謳います。「そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。」(詩編8:5)
「月も、星も、あなたが配置なさったもの」、この偉大な創り主に対して、私たち人間は、何と儚い存在であろうか…。しかし、その偉大な神が、弱い人間を御心に留めてくださる、顧みてくださる。この事態に、驚く以外ないのです。どうしてこの関係が成り立つのでしょうか。
聖書は、「契約」という言葉で、これを説明します。旧約聖書の創世記15章で、主なる神様は、アブラハムを呼び出して、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」(創世記15:5)と言われました。そして、天を仰いだアブラハムに、神様は、「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)と一方的に約束してくださいました。これが「契約」です。
そして、この契約こそが、偉大な神が取るに足らない人間を御心に留めてくださる、そして、顧みてくださる、その根拠なのです。
しかし、神の契約は、一方的な恩恵ではありますが、一方通行ではありません。私たちには、必ずレスポンスが求められるのです。大切なのは、神の契約に対して、「アブラムは主を信じた」(創世記15:6)と、聖書がアブラハムの応答を示し、「主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)と、契約の締結を表明することなのです。
つまり、私たちに求められるのは、ただ信仰だけなのです。
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