7月18日(土) 詩編131編
わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。
イスラエルよ、主を待ち望め。
今も、そしてとこしえに。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』詩編 131編2-3節
きょうの詩編の冒頭で、詩人は、主に対して驕ることも高慢になることもしませんでしたと述べます。驕りや高慢が、堕落や破滅を身に招くことを聖書は何度も語っています。詩人はそのことに気をつけつつ、主の御前に小さな存在としての自分を自覚して生きてきました。また、能力を超えた大事業に関わることもしなかったと自分の人生を振り返ります。周囲の人びとの目を引いたり、後世に名を残したりするようなことはなく、ごくごく平凡な日常を過ごしてきたのでしょう。主の御前に静かに額ずく信仰者の姿がここにあります。
その彼の願いは、魂を「幼子のように」することでした。この言葉が二度繰り返されます。乳離れした子どもが、親の差し出す食べ物を自分で噛み締めて栄養とし、成長する姿が想起されています。つまり自らを、主が差し出す霊的な食物である御言葉の養いなくして生きていけない存在として自覚し、いっそう御言葉を慕い求め、それを糧として生きていこうと決意しているのです。ここに御言葉を待ち望むすべての神の民の姿があります。
明日の主の日の礼拝を前にして、忙しく過ごす手と魂を休め、一人静かに祈りつつ、また御言葉を慕い求めつつ、主を待ち望みましょう。
【祈り】
小さなわたしに目を留めてくださる主よ、御言葉をとおして語ってくださるあなたを待ち望みます。




