キリストへの時間

命に通じる門とは

放送日
2026年6月14日(日)
お話し
久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ:命に通じる門とは

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。愛媛県松山市道後温泉近くにある、松山教会の久保浩文です。

 「狭き門」…これは、私達が日常生活の中でしばしば耳にする言葉です。現代の競争社会の中では、特に進学や就職の時によく用いられます。難関校に合格する、大手有名企業に入社することができる、といったように、大勢の希望者の中から難しい試験や面接などを突破することを「狭き門より入る」と言います。狭き門を通過して進路の志望を果たされた方も、挑戦の結果思い通りにはいかなかった方もおられるでしょう。

 主イエス・キリストは、私達の人生について、次のように教えています。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13-14)

 人生には二つの門と二つの道があり、私達は、この二つの内のどちらかを選択しなければならない、といわれます。一つは狭く、細いので、厳しくて辛い道であり、もう一つは入り口も広く、道も広々としているので、安楽な道です。楽な道があるならそちらを選びたい、というのが、人間の正直な気持ちではないでしょうか。

 その一方で、古来より、「人生苦あれば楽あり。楽あれば苦あり」とか「若い時の苦労は買ってでもせよ」といった人生の処世術は、誰しもが耳にしたことはあると思います。また、様々な「道」とつくものでは、何年も厳しい特訓を重ね、技術を磨かなければ、いわゆる熟練者、達人にはなれません。最初は大勢の人と一緒にスタートを切っても、達人の域にまで達する人はごくわずかです。しかし、キリストは、このような処世術を教えているのではありません。

 主イエス・キリストが「入りなさい」と教えているのは、「命に通じる門とその道」、つまり、天国に導いてくれる門とその道についてです。命に通じる天国に導いてくれる門は狭く、その道も細いのです。そして、「そこに門がある、道が通じていることさえも気付かない。見出す者も少ない。」といわれます。なぜでしょうか。その門と道が、発見しにくい所にあるからでしょうか。そうではありません。命に至る道は、むしろ、誰の目にも明らかであり、手の届くところに存在しているのです。

 ではなぜ、「見いだす者は少ない」といわれるのでしょうか。主イエス・キリストは、ご自分のことを「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。」(ヨハネ10:9)、また「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)と語っています。

 主イエス・キリスト御自身が、命に通じる門、その道なのです。この方にこそ、真の命があり、真の救いがあります。しかし、多くの人たちは、この主イエス・キリストのもとに来ようとしません。そういう意味で、狭き門、細き道なのです。

 主イエス・キリストこそ、永遠の神の御子であられ、生ける真の神です。ですから、イエス・キリストの招きに応じて、そのみ言葉に耳を傾けることが、すなわち、命の門を見出したことなのであり、信じて従っていくことは、救いに通じる道をすでに歩んでいることなのです。

 今、ラジオをお聴きのあなたも、ぜひこの道を共に歩んでくださるように、と願っています。

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