聖書を開こう

混乱の先にある、確かな希望(マタイによる福音書24:29-31)

放送日
2026年3月26日(木)
お話し
山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:混乱の先にある、確かな希望(マタイによる福音書24:29-31)


 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 私たちの社会は、今までないほど高度に発達したはずなのに、その実態はとても脆弱で、明日何が起こるか分からないという不透明に支配されています。

 この「先が見えない」という感覚は、ただ社会情勢の話に留まりません。それは個人的な人生にも深く入り込んでいます。突然の病の宣告、愛する人との早すぎる別れ、積み上げてきたキャリアや信頼の挫折。自分が立っている地面が実はそれほど強固なものではないことに気づかされ、「この混乱は一体どこまで続くのか」と天を仰ぎたくなるようなときがあります。終わりが見えない不安の中で、人はどこに希望を見いだすことができるのでしょうか。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書24章29節~31節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

 マタイによる福音書24章は、「小黙示録」と呼ばれます。世の終わりについて語られるイエス・キリストの教えがまとめて記されています。きょう取り上げる箇所もその一連の教えの一部です。

 29節には宇宙規模で起こる混乱が描かれています。

 「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」

 この描写を、文字通りの天体現象として読む必要はありません。これは旧約聖書で繰り返し用いられてきた象徴的な表現です。それは世界の秩序そのものが揺らぐことを表現した言葉です(イザヤ13:10、エゼキエル32:7)。

 太陽は人間にとって最も確かな存在の一つです。毎朝昇り、季節を刻み、命を育みます。しかしその太陽でさえ、暗くなる日が来ると聖書は語ります。これは何を意味するのでしょうか。

 私たちは、健康、富、社会的地位、あるいは科学技術の進歩を「光」として歩んできました。しかし、それらが一切の輝きを失う時が来る。聖書は、この世界の安定は永遠ではないという厳しい現実を直視させます。しかし、それは絶望への誘いではありません。偽りの光が消えることで初めて、ほんとうの光が見えてくるからです。

 闇に包まれた空に、何が現れるのでしょうか。30節です。

 「そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。」

 「人の子」とは、他でもないイエス・キリストご自身です。かつてイエスは、家畜小屋の飼い葉桶の中に、無力な赤子として生まれました。この世では旅人として歩み、人々の嘲笑の中で、十字架にかかって死なれるほどに、低く、弱く過ごされました。しかし、終わりの日に現れる主イエスの姿は、それとは対照的です。万物を統べ治める王として、圧倒的な「大きな力と栄光」を帯びて来られます。

 「地上のすべての民族は悲しみ」という言葉は、裁きの現実を指し示しています。神の前に立つとき、私たちは自分の責任を問われます。神を拒み、自分の欲望に従って生きてきた者たちが、真の審判者を前にして、自分の罪と過ちを悟って慄く瞬間です。

 しかし、この「嘆き」の中には、悔い改めの可能性も秘められています。混乱を支配しているのは混沌ではなく、愛をもって私たちを救おうとされたあの方が、歴史の完成者として来られます。その事実こそが、この箇所の核心です。

さらに、31節には慰めに満ちた光景が描かれます。

 「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

 この一節は、深い慰めに満ちています。神の救いは決して途中で終わりません。混乱がどれほど深くても、迫害がどれほど激しくても、神に属する者は見失われることがないからです。天使たちが「四方から」集めるという言葉は、地の果てにまで及ぶ神の愛の普遍性を示しています。

 東からも西からも、南からも北からも。民族の違いを超え、言語の壁を越え、歴史の断絶をまたいで、神は御自分の民を集められます。あなたが今、どれほど孤独であっても、どれほど混乱の中にいても、神の目はあなたを見失ってはいません。

 では、これらのイエスの言葉から、自分の生き方をどのように整えるべきでしょうか。

 第一に、「混乱は終わりではない」という事実を魂に刻み込むことです。

 私たちが経験する困難、病、経済的な危機、あるいは社会の不条理。それらは、物語の結末ではありません。29節が語ったように、神の御業は「苦難の後に」現れます。暗闇が最も深くなるのは、夜明けの直前だと言われます。見える現実に圧倒される時こそ、見えない神の約束を思い出し、顔を上げることが大切です。

 第二に、私たちの「希望の拠り所」を再点検することです。

 私たちは無意識のうちに、「経済が安定すれば」「病気が治れば」「人間関係が修復されれば」希望がある、と考えがちです。もちろん、それらは大切なことです。しかし、今回学んだように、この世の安定は太陽や月が暗くなるように、いつか必ず揺らぎます。

 聖書が提示する希望とは、「状況が良くなること」への期待ではありません。それは、「主が来られる」という約束への信頼です。状況がどうあれ、歴史の手綱を握っておられる主が、私を迎えに来てくださいます。この「再臨」の約束こそが、クリスチャンの持つ揺るぎない希望の錨です。嵐の中で船を繋ぎ止めるのは、船内の快適さではありません。海底の岩にしっかりと下ろされた錨なのです。

 では、その希望を持って、具体的にどのように生きるべきでしょうか。

 それは、「恐れではなく、備えと信頼をもって生きる」ことです。主がいつ来られても、「主よ、お待ちしておりました」と喜んで迎えられるような生き方です。それは特別な修行をすることではありません。今日という一日に誠実であること、隣人を愛すること、絶望したくなる世の中にあって「それでも神は生きておられる」と告白し続けることです。

 「目を覚ましていなさい」とイエスは繰り返し教えられました。それは、神の正義と愛が最終的に勝利することを信じて、一歩を踏み出し続けることです。混乱に心を奪われるのではなく、混乱の中におられる主を見上げ、与えられた使命に忠実に歩み続けましょう。

 この世界の終わりは、破滅的な「崩壊」ではありません。それは、神の愛が完全に支配する「完成」へと向かう産みの苦しみです。どれほど深い暗闇が世界を覆っても、その向こうには、雲に乗って来られる主の輝かしい栄光が待っておられるのです。

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