6月22日(月) ヨハネ9章
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨハネによる福音書 9章3節
主イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられました。弟子たちが尋ねました。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」。主イエスは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」とお答えになりました。そして唾でこねた土をその人の目に塗り、シロアムの池で洗うようにと言われました。言われたとおりに彼が池の水で目を洗ったとき、彼の目は見えるようになりました。主イエスの行為と御言葉が、鮮やかな神の御業としてこの人に現れたのです。
イザヤ書35章5節に「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く」とあり、また29章18節には「盲人の目は暗黒と闇を解かれ、見えるようになる」とも記されています。メシアの到来とその御業を語る救いの預言です。
見えるようになった人は、ファリサイ派の人から「お前はあの人をどう思うのか」と尋ねられ、神のもとから来られた預言者です、と答えました。この人は主イエスの御業と御言葉によって霊的開眼を与えられたのです。私たちが主イエスによって見えない神を信じることができるのは、神の御業以外にありません。
【祈り】
神よ、見えない私たちの霊の目を開いてください。



