キリストへの時間

映画『おくりびと』を観て

放送日
2019年3月31日(日)
お話し
申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: 映画『おくりびと』を観て

 おはようございます。広島教会の牧師、申です。今日は日本の映画「おくりびと」の話であります。この映画をご覧になられましたか。2008年上映された映画ですが、その後地上波テレビでも何回か放送されたこともあるので、ご覧になった方は多いと思います。

 これは納棺師の物語であります。ネット辞書で調べますと「納棺師とは、死者を棺に納めるために必要な作業と関連商品の販売を行う職人である。映画『おくりびと』でその存在が世間に知られることとなり、納棺師に対する興味と職業としての納棺師、産業としての納棺が知られた。」と、言っているので、おそらく一般的に良く知られていた職業ではないと思います。

 プロのチェロ奏者が職を失い、妻とともに田舎に帰ります。そこで就職先を探していた男は、新聞で「旅のお手伝い」という求人広告を見つけ、就職したところ、それが思いもよらず納棺師の仕事だったということです。与えられた仕事を一所懸命習い、一人前の納棺師となりますが、周りの目は厳しく、幼馴染の友達からは「もっとましな仕事に就け」と言われ、愛する妻には「そんな汚らわしい仕事は辞めて。」と言われます。

 男は多くの人に嫌なことを多く言われるこの仕事を一度は止めたいと思っていたが、いろいろな紆余曲折の末、死者を送るこの仕事の尊さを人々に認められるようになります。

 映画を観ながらとても印象深く思ったことは、遺体に対する尊重です。わたしも牧師ですから、葬儀を執り行います。しかし、キリスト教においては、遺体は命を失った亡骸です。聖書には死んだ人に触れることは汚れたこととして扱っています。また、映画を観る限り、日本においても他人の遺体は汚れたと思うことが一般的なようです。しかし、自分が愛した人に対しては違うような気がします。愛する人の亡骸を触ったり、化粧してあげることなどは良くあります。

 一般的には、死んだ人の体は汚れたと思うかもしれませんが、その人を愛した人にとっては命がないからと言って別人ではなく、まことに愛する人の体であるには違いありません。その人の今まで生きた人生を尊重し、死んだ体を丁寧に扱い、あの世に旅立つ支度をしてあげることが、納棺師の務めであることを深く感じる映画でした。

 わたしは今まで十数人の葬儀を執り行いました。その葬儀を行う時、いつも調べることは故人がどのような人生を送り、どのような信仰生活をしていたのかということです。そして、そのことを葬儀に出席してくださった方々に伝え、その方が信じた神様がどれほど素晴らしい方であるのか、故人と一生共に歩んでくださった神様を人々に伝えることです。それは、本当は故人が生きているならば自ら語るべきことでしょう。自分のことですから最も詳しく、正確に伝えることが出来るでしょう。

 しかし、故人は帰らぬ人になった今、牧師は故人に代わってそのことを伝えます。1人の人の一生を通して働いてくださる神様を、余すところなく伝えるその仕事、つまり牧師がいかに大切な仕事で尊い仕事なのかを、映画を通して深く感じることが出来ました。映画が語る死生観とは少し違うかもしれませんが、牧師も一人の「おくりびと」なのです。

 聖書の中にイエス様が1人の死んだ若者を生き返らせる出来事が記されています。母親は寡婦(やもめ)でした。寡婦の一人息子ですから、とても大事に大事に育てたと思いますが、その一人息子が母親を残して若くして死んでしまいました。母親はいかに悲しかったでしょうか。その母親を偶然に見かけたイエス様は、深い憐みをもって、その若者を生き返らせてくださったということです。

 主イエスは憐れみ深い方です。死んだ人を憐み、愛する人を失った人々を憐れんでくださる方です。その方に出会ってみませんか。今日は日曜日です。近くの教会でその方と出会うことができます。聖書の御言葉を通して、是非、イエス様と出会ってみてください。

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