渇きをいやし罪を記念するメリバの水 | 民数記 20章

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民数記 20章

これがメリバ(争い)の水であって、イスラエルの人々が主と争った所であり、主が御自分の聖なることを示された所である。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 民数記 20章13節

渇きをいやし罪を記念するメリバの水

神の導きによって出エジプトの旅を続けていた主の民イスラエルは、道中たびたび「水がない、食糧がない」と不平を漏らしました。ツィンの荒れ野に入ったときにも、民は「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか」(3、4節)と不平を漏らし、預言者モーセ、祭司アロンと言い争いました。

神から「岩に向かって、水を出せと命じなさい」との指示を受けたモーセは、預言者として、神が水を出してくださったことを民に示す必要がありました。それにもかかわらず、苛立っていたのか、彼はまるで自分が水を出してやったかのように民の前で振る舞いました。神はその態度を「わたしの聖なることを示さなかった」罪だと指摘なさいました。その泉は「メリバの水」と呼ばれるようになりましたが、それはこの一連の出来事を民の記憶にとどめるためでした。

主の民はメリバの水を想起するたび、自らの罪と、神により渇きがいやされたことを思い出しました。私たちも主イエスが処刑された十字架を見るたび、自らの罪を覚えると同時に、主から命の水が与えられたことをも思い出します。

【祈り】

神よ、主の十字架によって、きょうも私たちを、罪の悔い改めと救いの恵みの喜びに導いてください。

伊藤 築志(田無教会)