裁きよりも憐れみをもたらす神 | エレミヤ書 25章

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エレミヤ書 25章

「わたしは、彼らの行いとその手の業に応じて彼らに報いる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 25章14節

裁きよりも憐れみをもたらす神

エレミヤは、ヨシヤ王の第13年から23年間、主の預言者としてユダとエルサレムの人びとに語り続けました。「悪の道と悪事を捨てよ」、「他の神々に従っていくな」と。

しかし、エレミヤの言葉は彼らには届きませんでした。そしてついに神の裁きが始まりました。「見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる。そこは人の驚くところ、嘲るところ、とこしえの廃虚となる」(9節)。

バビロンの攻撃は偶然ではありません。歴史を支配しておられる神がご自身の民を懲らしめるために敵を用いられたのです。

しかし、そこにも神の憐れみが残されていました。神はこれを永遠の裁きとせず、70年という期限を設けられたのです。「70年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる」(12節)。

捕囚の地で惨めに生きてきた者たちが、エレミヤの言葉に従って、悔い改め主に立ち帰るなら、「先祖に与えられた地に」再び住むことができると神は約束しておられます。

【祈り】

あなたを見失い、罪の道に迷い込んだとき、わたしを見捨てず、見つけ出して、あなたのもとへ立ち帰らせてください。

木村 恭子(川越教会)