安息の日安息の年に造り主を思う | 出エジプト記 23章

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出エジプト記 23章

しかし、7年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 出エジプト記 23章11節

安息の日安息の年に造り主を思う

人が、6日間働いて7日目に仕事を休むのと同様に、6年間耕作をした土地にも7年目には全き安息を与えて休ませなければなりません。7年目は、債務者や奴隷、土地にとって休みの年、解放の年です。

レビ記25章4~7節によると、その年は、畑に種を蒔くこと、畑の手入れをすること、収穫すること、畑から自然に生じた穀物を収穫することも禁じられました。畑に生じたものは、奴隷や雇い人、寄留者、家畜や野生の動物に与えられます。すべて土地は主のものであり、主の御心に従って使用しなければなりません。

主が安息の年を定められたのは、安息日と同じように、主の創造の業を覚えて、主との契約を「心に留め」、収穫の主に日々の感謝と賛美をささげるためです。奴隷と使用人を酷使することを止めることで、人としての尊厳を守る意味もありました。この安息年によって、民はかつてエジプトの国で奴隷としての過酷な状態から主が救い出してくださったことを想い起こします。主は、その間も、人びとが生活に事欠くことなく暮らすことができると言われました。

私たちにも主イエスは次のように約束しておられます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタ6章33節)。

【祈り】

私たちに必要なすべてを備えてくださる主なる神に感謝します。

久保 浩文(松山教会)